逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

清廉潔白な人はいない

清廉潔白な人
って世の中に存在するんでしょうか。

 


私は存在しないと思っています。

 

感情的な主張ではなく
人間の構造がそう出来ていないからです。

 

 

 

私利私欲は人間の初期設定としてある。
しかもこの設定、変えられません。

 


でも実際
私利私欲にまみれた人と
無欲な人がいる
ように見える。

 

これは何故でしょうか。

 


私利私欲にまみれている人は
すぐに手に入りやすい利益ばかり求めるので
一番手っ取り早い
人の利益を奪う形で自分の利益を得る。

 


無欲に見える人は
自分の利益が人の利益にもつながるものを
上手く探している。

 


こんな単純な差です。

 


後者は時間や労力がかかるので
人は前者を選びやすい。

 

 

 

あと
いつも清らかに穏やかにいること。

 

これだって
物理的に無理なはずです。

 


社会性をもって
多くの人間と関わっていたり

 

広い世界を見渡せば

 


目を背けたくなるような現実があって

 

困った人や反社会的な人の行動が
人を傷つけている場面がそこらへんで見える。

 


これらを知っていて
人並みの感情や道徳心を持ちながら
穏やかにいられるでしょうか。

 

 

 

じゃあ穏やかに過ごせないの?
なんて思いますよね。

 


いえ
穏やかに見えるように
過ごすことはできます。

 


でも
穏やかに見える人は
いつも平和で穏やかにいられているわけではなくて
心の中ではちゃんと葛藤してます。

 

その上で受け入れている。

 


あるいは
自分の無力さを受け入れて
出来ること以外はあきらめる。

 

世の中の理不尽さに胸を痛めながらも
仕方がないというあきらめが持てるようになる。

 


このような人が
いつも清らかで穏やかに見える。

 

本人の内面は
決して穏やかではいられないんですね。

 

 

 

本当に清廉潔白な人は

 

環境がよく完全に守られていて
狭い自分の世界でだけ考えていられる人
でしかありません。

 

守られなくなったら
閉じこもっていられなくなったら
きっと
清廉潔白ではなくなるはずです。

 

 

 

歴史上の人物で
清廉潔白だと思われる人は
多くいますね。

 

でもそのような人には
反面
こころを病んでいたエピソードや
残酷な面も見られたエピソードがあります。

 

 

 

人間が清廉潔白でいられない存在なのに

 

受け入れられずに
清廉潔白にしようとしてしまうと

 

その反動で
こころの闇が大きくなったり
心を病んだりしてしまう。

 

 

 

こんな立派な人がこんな感情的に?
こんな素晴らしい人がこんな犯罪を?

 

こんなことよくありますね。

 

これが
清廉潔白を目指してしまった結果です。

 


人間は清廉潔白にはなれない。
でも
そこに近づいていくことはできる。

 


そのためには

 

自分は清廉潔白ではないと受け入れること。

 

いつも内面で葛藤をすること。

 

自分の力が及ばないという現実
無力感を受け入れて
あきらめること。

 

これが必要です。

 

 

 

 


難しいことを書いてしまいましたが

 

何がいいたいかというと

 


あなたの思う自分の心の汚い部分は
人間らしさであり
恐れることではない。

 


清廉潔白を目指すには

 

「人間なんてこんなもんだ」

 

と受け入れた上で
人間のダメな部分と上手くつきあっていくこと
です。

 


大変ですが
少しでも環境を整えて
良く変えていくことです。

 

 

 

私も日々
心の中で毒づきながら
自分のダメさ加減にあきれながら

 

それでも少しでも穏やかにすごせるよう
毎日葛藤の連続です。

 


カウンセラーとして
清廉潔白でなければならないとも思いますが
それは逆に
不誠実であることですからね。

 

 

 

 

 

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