逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

二分割思考-言われたことを聞けばいいの?聞かなくていいの?-

人に言われた言葉に心を揺さぶられることって

よくありますよね。

 

 

「私はそうなのか」
「私はそうじゃない!」

言われた言葉を
受け入れたらいいのか拒絶していいのか分からなくて

混乱してしまいますよね。

 



でも

人から言われた言葉は
受け入れるか拒絶するかのニ択しかないんでしょうか。

 

 

 


場合分けをして考えてみましょう。

 


まず
実はあなたに言葉をかけた相手が能力不足の場合。

 

 

あなたはプロの画家だとします。

 

そして
あなたの絵に対して
「なんだこの絵は。へたくそ」と言ってきた人がいます。

 

身なりはきちんとしていて地位や名誉、お金がある人です。


でもこれまでに
絵や芸術にまったく触れてこなかった人です。

 

 

さあどう考えますか。

 

いくら偉い人でも絵なんて分からない人ですよね。

 

あなたが参考にしなければいけない助言は
経験に裏付けられた審美眼のある人からのものなのではないでしょうか。

 

 

 


次に
あなたに言葉をかけた相手の持つ情報が不足している場合。

 

 

あなたはプロの職人だとします。

 

あなたは一万回に一回しかミスをしない
素晴らしい才能を持っています。

 

その才能を見極めようとある人が見に来ました。

 

そのとき運悪く
その一万回に一回の失敗をしてしまいます。

 

また一ヶ月後その人が見に来た時


あなたは手にケガを負っていて
また失敗をしてしまいます。

 

そしてその人は
あなたに対して「失敗が多い人だ」と評価しました。

 

 

どうでしょうか。

 

この場合
評価する側の情報が少ない上に悪い部分だけを見ていて

情報不足を想像力で補わず正確な評価ができていません。

 

 

いいところを見てもらえなかったことは残念ですが

 

事実として
あなたが一万回に一回しかミスをしないという
素晴らしい才能をもっているということが


失敗が多い人に変わることはありません。

 

 

 


こんなことが日常でもよく起きているんですね。

 

偉い上司

偉い先生

肩書きのすごい人…などに

 

もし自分のことをダメだしされたら

 

あぁこんなすごい人にダメだと言われたから

自分は本当にダメだと思いがちです。

 

 


でもよく考えて欲しいんです。

 


その言葉を言った人は


もしかしたら

 

自分がやる上ではすごい技術をもっていても
人を見る能力はないかもしれません。

 

あなたの言動を切り取って見ていて
全体を捉えられていないかもしれません。

 


もしそうなら

正当な評価じゃないですよね。

 


でも
全部拒絶すべきではないんです。

 

 

 

ここにも大事な情報が入っています。

 

 

人を見る目が無い人には

こう見られやすいんだと分かる。

 

自分の一面を切り取ると

こう映るんだと分かる。

 


だから
どんな言葉であっても

 

「一理ある」


そう思って欲しいんです。

 

 

不当な評価だと感じるものを

決してそのまま受け入れる必要はないけど情報は入っているから


「一理ある」

 

そんなものでいいんです。

 

 


あなたを正当に評価してくれる人は

同時にあなたのプラスの面も褒めてくれます。

 

あなたの一面だけを切り取って決めつけず
自分の知らない時間もあることを想像できます。

 

 

これが
ちゃんと正当な評価をしてくれる人です。

 


今は
こういう人がなかなかいないので
みんな無駄に人の評価に苦しんでいるんですよね。

 

 

人を批判する

そんなことは誰だって出来るんですよね。

 


マイナス面だけをあげつらう人の言葉を丸呑みして
落ち込んじゃダメですよ。

 

 

そういう人は「一理ある」だけで


全体を見る能力がない残念な人なんだと思っちゃっていいんです。