逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝⑳監視する養父

養父は私を監視した。

 


養父は私をペットのように扱っていたのだろうか。

 

いやペットであれば愛情を注ぐだろう。

 


蟻のように扱っていたのかもしれない。

 

心の存在を無視して
一方的に観察して、もてあそんで
気に入らなければ痛めつけることしていたから。

 


私という存在は
養父にとって最高に都合の良い存在だった。

 


本当はただの無職のヒモなのだが
世の中的に父親という肩書きが手に入る。

 

私のような発達障害のある変な子どもに
しつけと称して
ストレス解消に怒鳴ったり罵ったり叩いたりすることが出来る。

 

養護施設から引き取った子どもだから
恩を売り、捨てると脅して思い通りにすることができる。

 

無知な子どもに
偉そうに振る舞い、敬意を表するよう強いることが出来る。

 


養父にとっては最高だっただろう。

 

 

 

養父には有り余る時間があった。

 

働かないし
学ばないし
自分を磨かないし
友人はいないし
映画を見る以外の趣味も無い。

 


とにかく暇だったのだ。

 


私という存在は
暇つぶしにも恰好の存在だったのだ。

 

 

 

監視をして
怒鳴ったり罵ったりすることでストレスを解消する人間は
とにかく理不尽だ。

 

 

 

一緒にテレビを見ている。

 

私は養父の言葉を聞き逃してはならない。

 

緊張していてテレビの内容が入ってこない。

 

そうすると
「辛気くさい顔するんじゃねぇ」
「何が気に食わねぇんだ!あぁ?」
とキレられる。

 


逆にテレビに集中して養父よりゲラゲラ笑っていると
「脳天気なガキだな」
「テレビなんて見てないで勉強しろ」
とキレられる。

 

 

 

テレビで見た影響で
食事のマナーを熱心に教育しようとしている時があった。
お箸を茶碗のうえにかけただけで怒鳴られ
ご飯だけ食べて味噌汁やおかずを食べないと
三角食べをしろと怒る。

 

私は緊張しながらマナーを守ろうとする。
自分の顔に意識がいかない。

 

そうすると
「まずそうに食うんじゃねぇ」
「なんだその鉄仮面みたいな顔はよぉ」
「俺に文句があるなら出てけ」
と怒鳴られる。

 

 

 

次の日までにやらなければならない宿題を
養父の前でやっていると
養父が話し相手がいないので暇になるので
「わざとらしく勉強してるフリしやがって」
と怒る。

 


あまりにも私が宿題をやっていかないので
学校から連絡がくると
「親に恥をかかせやがって」
と怒る。

 

 

 

養父は一日中私を見張り
叱るか罵るか笑いものにするかのどれかである。

 

ちょっと機嫌が良い日は
私を笑いものにする。

 

「ブサイクだなぁ」
「きたねぇ歯だな」
「お前頭おかしいんじゃねぇか」
「全くなんの役にもたたねぇ人間だなぁ」

 

といってゲラゲラと笑う。

 

 

 

ものすごく機嫌が良い日は
父親っぽい言動をいきなりする。

 

膝の上にのせて頭を撫でる。

 


私がテストで100点を取った日は
「さすが竹田家の子だ」

 

 

完璧に養父の話を聞いて機嫌をとれた時は
「俺も怒りたくないんだよ。みゆは良い子だ」

 

なんて言い出したりする。

 


小学校低学年の時は
これに騙され
養父は良い人で自分が人を不快にさせる人間なんだ
と思っていた。

 


養父に対して
機嫌が悪いときは何をやってもダメだった。

 

正解は絶対に無い。
鬱憤を晴らすことが目的なのだから
何をやっても怒鳴られ罵られるのだ。

 


小学校低学年の私は
そんなことはつゆ知らず

必死に正解を探し続けていた。

 

それでも
いつも養父を怒鳴らせてしまう
ちっとも改善できない自分を責め続けていた。

 

 

 

私には私のために使う時間が少しも無かった。

 

養父の監視下に居て
養父の言いつけを守り
養父の望みを先取り
養父の気分をいつも最高に保たなければならない。

 


これが暗黙のルールだった。

 


理由は

 

「養護施設から引き取ってやったから」

 

「変な子どもだからしつけなければいけないから」

 

「日本では父親という一家の大黒柱は
 何があろうと敬われなければならないから」

 

 

 

今考えれば
めちゃくちゃな理由だが

 

小学校低学年の私は当然だと思い
従うしか出来なかった。

 


家に帰れば
ボーッとしたり
考え事をしたりすることも許されない。

 


ランドセルを置きに自分の部屋に戻って
5分もすれば
「遅せぇぞ。何してんだ」と怒鳴られる。

 

お風呂に入っていても
毎度毎度いきなり開けて見に来る。

 

居間にいる時は
養父の話を聞き逃してはならないし
楽しそうに振る舞わなければならない。

 


学校でも緊張の連続だった私は限界で
何とかしてほんの少しでも休まなければと思った。

 


それが
夕食後の食器を洗う時間。

 

この時間ぐらいしか
養父の目から離れることは出来ないから
私にとっては大事な時間だった。

 

台所に居てボーッとしていると
音がしないので
「何やってるんだ」と養父が見に来る。
いつもカチャカチャと音を立てながら
時間を稼いでいた。

 


あとはトイレだ。
用を足さなくてもトイレに行く。
少しでも時間を稼ぎたいからトイレにこもる。
いつも「便秘でつらい」と養父に報告する。
それもまた養父にからかわれる材料になるのだが
背に腹は代えられない。

 

 

 

この監視の目から逃れられたのは
大学1年の時である。

 

大学まで往復4時間がかかり
交通費もバカにならないということで
奇跡的に一人暮らしを出来ることになった。

 

信じられない奇跡だ。

 


初めて一人の部屋でご飯を食べた時の場面が
今でも忘れられない。

 


ワンルームの部屋で
ベッドフレームは無くシングルのベットマットだけ
無造作に置いてある。

 

ベッドマットに腰掛けて
14インチのテレビをつけて
コンビニのお弁当を食べたときに
涙が止まらなかった。

 


誰にも見られていない。
誰のことも気にしなくてもいい。
好きなテレビを見ながら
好きなものを好きなように食べていても
叱られたり罵られたりしない。

 

こんなことが私には信じられなかったから
幸せすぎて死んでしまうかと思った。

 


40にもなると
幸せすぎる場面は沢山沢山増えたけれど

 

いまだにこの場面を超えることはない。

 


これほどまでに

長く苦しい経験なんてあるわけがないのだから。