逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

気に入られようとすることをやめた

仕事帰り
いつものスーパーに寄る。

 


ちょっと頭と心をつかいすぎてヘトヘトな日。

 

どうしても避けたいレジのおば様がいる。

 


嫌な人なわけではない。
すごく良い人だ。

 


レジを打ちながら
わざわざお肉や野菜をポリ袋に入れてくれる。
他のレジの人はあまりしてくれないことだ。

 


話をしたことはないけれど
私のことを覚えていてくれて

 

「今日は遅いね」
「今日はそのカバンに入るかな」
「今日はレジ袋いる?」と満面の笑みで聞いてくれる。

 


こんなに良い人を避けたいと思うなんて

 

(私はひどい人間だ)
なんてことがふと頭をよぎる。

 

 

でも人間だもの。
自分の中に湧き起こる気持ちなんだから仕方がない。

 

あからさまに態度に出しているわけではないのだからいい。

 

 

 

何故なのだろうと考える。

 

ただレジを打ってもらうだけで疲れてしまうのだ。

 

 

 

目の前にいるだけで緊張が伝わってくる。

 

私の出方を必死に伺っているのが伝わってくる。

 

必死さが伝わってきて、こちらが苦しくなってくる。

 

それに何だか距離が近いのだ。

 

 

 

・・・なんだ

 

昔の私に似ているんだ。

 

 

 

私は接客の時だけではなかった。

 

日常的に

 

目の前に人が居るだけで

今できる最高の気遣いを全部完璧にしようとしていた。

 

 

どんなに疲れていても悲しい気分でも
満面の笑みを絶やしてはいけないと自分を戒めていた。

 


絶対に
目の前の人の期待に応え、私を気に入ってもらわねばならない。

 

そんな信念を持って
いつでも全力でサービスをする。

 

 

ちょっと馴れ馴れしいぐらい人懐こいところを見せて
取り入ったりなんかもして。

 

 

 

必死だな。本当に必死だった。

 

 

 

今なら分かる。

 

人と居るときに
気に入ってもらおうと全力でサービスをするなんて
間違いだ。

 


もっとやることがあるだろう。

 

接客ならともかく
日常生活で
しかも子ども時代、若い頃・・・

 


ダメだよなぁ。

 

 

 

人と過ごしながら
学んでいくこと身につけていくことが
沢山ある。

 

 

 

ただ何気なく人と時間を過ごすとか

 


人と一緒に何かに熱中して過ごすとか

 


人とコミュニケーションをとりながら
自分が伝えたいことを伝えたり
相手が伝えたいことを理解したり

 


人と過ごしながら
自分の気持ちの動きや人の気持ちの動きを感じながら
折り合いをつけながら
コミュニケーションをとったり
目の前のことに取り組んだり・・・

 

 

 

目の前の人に全力で気に入られようとしていたら
それは学べるはずがない。

 

 

 

「良い人だけど疲れる」
何度も言われた言葉。

 

 

 

なんだその理解不能な言葉は。

 

これ以上どう努力をしたら疲れさせない良い人になれるんだ。

 


そうパニックになっていたのを思い出す。

 

 

 

ただ何気なく過ごすこととか
一緒に楽しむこととか
一緒にリラックスすることが目的の人たちに

 

必死さや緊張感を丸出しで
自分のことを気に入ってくれとアピールしていたら

 

悪い人じゃないんだけど・・・
いい人なんだけど・・・
疲れる。

 

そうだよね。

 

 

 

私はこのレジのおば様と同じように人に映っていたのだ。

 


今のところ
私が人を疲れさせないためにはどうしたらいいかの答えは

 


自分のことを気に入ってもらおうとか
良いところばっかり見せようとかするんじゃなくて

 

目の前のことに集中して取り組んで
その自然な姿を見せること。

 


自分もすごく楽になったし
結果的に人に好かれるようになった。

 


「気に入られたいから気に入られる努力をする」

 

至極当然のような気がするけれど

 

こればっかりは逆効果であることは
意外とみんな気づいていない。

 

 

 

 

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