逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝28 解離性障害の私


私は小学校3年生から6年生くらいの頃
鬱や解離性障害があったのだと思う。

 


この頃は
家での監視も厳しく
性的虐待やその他の虐待がひどく
学校生活も周囲と合わせるのが難しくなっていて
友人との関係も難しく

 

冷静に考えると
この頃の私にかかっていた負荷は大変なものだった。

 


それでも
誰にもそれを明かさずに
困っている姿も見せずに
その状況に対処をしようと戦い続けていて

 

戦い続けても状況が悪化していくばかりで
燃え尽きてしまっていたのだと思う。

 

 

 

この辺りの記憶は驚くほど少なく
断片的にほんの少しだけ浮かぶ場面がある程度だ。

 

そして
この辺りの記憶を思い出そうとすると
つらさはないのにどんよりと重苦しい気分になる。

 


断片的に浮かぶ場面の記憶も
この頃の記憶だけ他とは質が全然違う。

 


私の過去の記憶は

 

その場面に入りこんで
もう一度あたかも体験しているかのようなものがある。

 

それだけではなく
その場面に入りこんで
まるで私のそばにいて私を見ながら
もう一度体験しているかのような記憶もあり

 

さらに
その場面を映画のように
安心しながら眺めているような記憶もある。

 


しかしこの頃の記憶だけは
どれでもない。

 


思い出してみると

 

自分は自分の体の中から世界を眺めてはいるのだが
オートマチックに現実が過ぎていく感覚だ。

 


この頃
私に起きていたことを言葉にするのは非常に難しい。

 

経験の無い人からすればとても信じがたい出来事で
言葉にすれば
正常ではないと恐怖されるか
創作だと笑われるかのどちらかだと思うからだ。

 


しかし心理学を学んでから
この頃の自分の状態は
解離性障害と名前がつく可能性があると分かった。

 

また実際に
解離性障害の人のカウンセリングをして
自分の経験は自分だけ特異のものではないと分かった。

 


だから勇気を出して言葉にしてみようと思う。

 

 

 

小学生の頃
私の中には自分以外の人がいた。

 


小学校2、3年生の頃
心の中で会話をする人がいた。

 


最初は名前はなかった。

 

自分から呼ばなくても
話しかけてくるから必要がなかった。

 


養父から激しく怒鳴られて
言葉にならない恐怖に震えていた。
泣くと余計に怒鳴られるから
どうしようもなくただパニックになっていた時。

 

学校で友人や教師に馬鹿にされ
恥ずかしくて情けなくて消えてしまいたかった時。

 

何度も同じ失敗をしたり
自分でもしたくないけれど悪いことをしてしまったりしいて
自分のことが恥ずかしくて気持ち悪くて消してしまいたかった時。

 


そんな時に声だけ聞こえてくる。

 

「大丈夫。大丈夫」
「あと少しの我慢だからね」
「みゆは良い子だから」
「それでいいから」

 


パニックになっても
とてつもない大きさの感情が襲ってきても
その場から逃げたくなっても
自分を完全に消したくなっても

 

この声が聞こえてくると
私は何とかギリギリでその場を耐えることが出来た。

 


こんなことが何度かあると
この声にどんどん依存していくようになった。

 


私がピンチの時だけ聞こえてくる声。

 


ただ寂しい時や不安な時
少し困ったときも話がしたくなった。

 

自分から呼び出したくなった。

 


呼ぶために名前をつけようと
テレビに映っていた美しいミイラ「マリア」を見てから
「マリア」と呼び始めた。

 


それから「マリア」と呼びかけるようになったのだが
結局は大きなピンチの時以外は
声は聞こえてこなかった。

 


だけどこの呼びかけるという行為が
この時の私を救ってくれていたと思う。

 


不安でいっぱいの小さい頃の私には
誰も頼れる人が居なかったのだ。

 


学校で友人に話しかけることはあっても

 

たいていは嫌な顔をされてしまうし
子どもらしい子どもである友人に
今の自分の、大変な状況にあるが故の気持ちを話す事なんて
出来るはずがなかった。

 


そんな時に
「助けて」と
誰かに呼びかけることが出来るだけで良かった。

 

無視をされても応えてくれなくても
心の中でいつでも話しかけることが出来るだけで
私には大きな助けになっていた。

 


それに
無視をされて応えてくれない時に

 

「なんで来てくれないの?!」
「聞いてるの?!」
「もういい。死んじゃえ!」

 

こんなふうに
心の中で八つ当たりをした。

 


今思うと
これも私にはとても必要なことだった。

 


子どもが子どもらしく
ワガママを言う。
イヤイヤ期になんでもかんでも嫌だと言う。
自分の機嫌が悪いときに八つ当たりをする。

 

こんな経験が私には無かったし
そんな場所があるわけがなかった。

 

心の中の頼れる存在に
心置きなく怒りをぶつけることで
私は心をなんとか正常に保つことが出来ていたのだと思う。

 


こうやって私は
心の中に生み出した架空の頼れる人物を
心の支えにしながら
私はたった一人で育つことが出来たのだと思う。

 

 

 

この頼れる架空の人物は
3年生から4年生にかけて消えていった。

 

現実が過酷になるにつれて
ただ話を聞いてもらうだけでは
もうどうしようもなくなってきた。

 


次に現れたのは
私の代わりに私を動かす人物たちである。

 


いわゆる多重人格というと

 

くるくると人格が交代するとか
パンと切り替わり自分の記憶がないとか
そういうイメージがある。

 

私はそうではないので
多重人格でない自分はいったい何なんだろうと

混乱していた時期が長かった。

 


今となって分かったのは
解離性同一性障害の現れ方は
多種多様であるということ。

 

私の人格の現れ方も
解離性同一性障害である可能性は否定できないのだ。

 

 

 

私の場合の人格の現れ方はこのようだった。

 


本来の私では対応しきれない場面
不安で怖くて逃げ出したくなる場面になると

 

瞬時に現れてくる。

 


この頃の本来の私は
すっかり鬱状態になっていたこともあり
恐がりで泣き虫で鈍臭く
人と上手くやることができない大人しい子だった。

 


毎日、毎時間
いつもどうしていいか分からない混乱状態だったから
本来の自分でいられる時間はわずかだったと思う。

 


人格の交代をした時に
本来の私が消えたりする感じではなかった。

 


例えると

 

最初のうちは
瞬時に現れた頼りになる人格の背中の後ろに
さっと隠れて見ているような感覚。

 

任せているものの
その場面を目の前で見ている。

 


それから少し経つと安心して全てを任せて
奥の方で休むようになる。

 

たまに
また頼りになる人の背中の後ろから
どうしているか覗いてみる。

 


こんな感覚で
他の人格が現れると
本来の自分は自分自身のコントロールは出来ない。

 


当時は
私はこのことをどう考えていたのだろうか。

 


自分のことが全くコントロール出来ていない自覚はあった。

 

勝手に自分とは違う誰かが出てきて
上手くやってくれたり問題を起こしたりする感覚があった。
その時の記憶が無いことが多かった。

 

その誰かがやったような気がする行動の
手柄をもらったり後始末をしたりすることに違和感があった。

 

その自分とは違うような誰かの行動の印象が
私の印象として人から語られるのだが
まるで他人の話をされているようだった。

 

人から笑い混じりではあるが
多重人格だと言われることもしょっちゅうあった。

 


それでも自分を多重人格という病気とは思えず
変なだけだと思っていた。

 

一つ一つの人格について意識したことも無かった。

 


小学生の自分には
目の前のことに精一杯で
そんなことを考えている暇すらなかった感じだ。

 

 

 

今覚えている人格は

 

男勝りで
強くリーダーシップがあり賢い子

 

ピエロのように
いつもおどけて人を笑わせている子

 

女らしく
優しく人の気持ちに寄り添う子

 

冷淡で
冷静で感情の起伏が無く論理的な子

 

この4人だった気がする。

 


楽々と
だいたいのピンチを乗り越えてくれたから
私は助かっていた。

 


何が問題だったかというと

 


男勝りで
強くリーダーシップがあり賢い子だと思われて
多くの子が私を好いてくれても

 

仲良くなってみたら
恐がりで泣き虫で鈍臭く
人と上手くやることができない大人しい正反対の子で
驚かれ嫌われることになったり

 


ピエロのように
いつもおどけて人を笑わせている子だと思われて
人気者になっても

 

急に
冷淡で冷静で感情の起伏が無く論理的な子になって
その落差に怖がられたりと

 

コロコロと正反対のように人格が変化し

 

周囲の人たちがあまりの私の人格の変化に
本気で恐れることが多かったことだ。

 

 

 

どれだけ
「二重人格だコイツ」と言われただろうか。

 

どれだけ
「分かんなくて怖い」と言われただろうか。

 

どれだけ人の恐怖の顔を見ただろうか。

 


人は
理解できない人間を恐怖するものだ。

 

解離性同一性障害は
人間の本能からして怖い物なのかもしれない。

 


私は人格の変化によって
人から恐怖されたことのトラウマが
今でもまだ少し残っているような気がする。

 

信頼関係が築けないうちは
多面性を出すことをためらう。

 

なるべく同じ自分しか見せてはいけないと
思ってしまうところがある。

 

 

 

中学生ぐらいから
生活に少しだけ余裕が出てきて
本来の私にも自信がついてきて

 

苦しいながらも
上手く出来ないながらも
本来の自分でいることが増えてきた。

 

他の人格が出たとしても
マイルドになっていた。

 


そして少しずつ
本来の私が
後ろではなく、横で見ているような感覚になり
本来の私と他の人格が近くに感じるようになった。

 

その人格を止めたり引っ込めたりすることが出来るようになった。

 


長い間
自分ではない人格が
勝手に飛び出してくるような感覚は無くならなかったが

 

境界性人格障害が完璧に治ったと感じられた33歳くらいからは
完全に人格が統合されたと思っている。

 


勝手に飛び出そうとしても止められるし
どの人格も本来の自分の延長線上にいる感じがするようになった。

 


解離性同一性障害が治った今も
私の多面性は驚かれる。

 

でも人から見て
多面性と思われる範疇のようである。

 


それを
ギャップがあっていいとか
万能だとか
多面性があって飽きない、魅力的だとか

 

褒められるようになった。

 


私は自分の多面性に悩まされ
人に怖がられ自分を恐れていたから

 

多面性をプラスに捉えられることが
涙が出るほど嬉しいのだ。