逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝27 ピエロになる私

私はどこにいても誰といても
ピエロになってしまう。

 

滑稽な存在になり
沢山の人を笑わせ笑われ、楽しませる。

 

これも
養育過程で身につけてしまった特殊能力だ。

 

 

 

養父母はお互いに自分のことしか考えていないから
しょちゅう小競り合いが起こる。

 

子どもの頃は
二人の大人の不機嫌のエネルギーはとても強く
その場でじっとしていても針を刺されているように痛かった。

 

養母は養父が怖くて強く言えないから
私に対して怒りをぶつけてストレス解消をする。

 

養父も養母に働かせているから
機嫌をとらなければならない時もある。
養母に怒りをぶつけられない時は
やはり私に怒りをぶつけてストレス解消をする。

 


養父は自己愛性人格障害だったから
外で自分が丁寧に扱われないことでしょちゅう不機嫌になった。
基本的に人と長く上手くやれないからいつも不機嫌だった。

 

イライラしている時は
小さな事をとにかく見つけて掘り返して
チクチクと小言を言ったり怒鳴ったりした。

 


私は不器用で鈍臭く恐がりな子どもだったから
親という立場からストレス解消に叱りつけるには
もってこいの子どもだった。

 

そうやって叱りつけられる時は
養父母は普段よりも強い感情で叱りつけてくる。
縮み上がるような怖さだった。

 


この時間は息をつかせぬ恐怖だ。

 

ホラー映画でも緩和の時間がある。
しかし親のストレス解消の叱責は緊張が途切れることはない。
そして長くしつこいのだ。

 

養父母の日頃の不安や怒りや恥や無力感
そういう全てのネガティブな感情を
私を叱る機会に吐き出すから何時間も止まらない。

 


子どもが何時間も緊張していると
当然、気力や体力がもたなくなる。

 

私は一時間経ったあたりからだろうか。
恐怖を感じなくなってボーッとしてくる。

 

このボーッとしている状態は
外から見ても分かりやすいようで
「聞いてんのか!」と新たな怒りの火種になる。

 

しかしもう何も感じなくなっている私は
怒りをどれだけぶつけられても何ともないのだ。

 


養父母はそんな無反応な私に対しては
ものに八つ当たりする感覚だったのかもしれない。

 

罪悪感を無くし
やりたい放題、私に怒りをぶつける。
感情を出し切ってスッキリする。

 

そして養父母はやっと正気に戻る。

 


養父母は正気に戻ると
仲良しの家族ごっこを継続しようと試みる。
ちょっと気まずい顔をしながら私に接してくる。

 

こんな時
私は見事に二人の期待を察し
ヘラヘラと笑い、すぐに空気を変えてあげた。

 


相手がどんなに私にひどいことをしようと
その後の付き合いでは
私は何事もなかったように
ヘラヘラとお気楽な人間のフリをして明るく接する。

 

これが私の癖だった。

 


この癖を持つ私の周りには
似たような人が集まってくる。

 

私を大事にしない、私を見下す、私を利用する人。
私にどんなにひどいことをしても謝らない人だ。

 


私はそういう人との関わりで自分が我慢をして
人間関係を継続させていた。

 

お人好しだとよく言われていたけれど
自分がやったことを無かったことにしたい人の
期待に沿っていただけで
本当は何一つ忘れていない。

 

だから我慢に我慢を重ねて

耐えられなくなったときに爆発をするのだ。

 

この人との関わり方のせいで
境界性人格障害の症状がひどくなっていたのではないかと思う。

 

 

 

本当は根に持っているのに
お気楽なフリをしていたこともあるが

 

私はADHDの部分もあるので
本当に全てをすっかり忘れてしまって
バカみたいにテンションが高く明るく面白い部分もあった。

 

学校生活でも
家での親との関わりでも
私はADHDの部分でずいぶん救われたと思う。

 


小学校低学年の時
ADHDの症状が出ている時の私は
デリカシーのない行動や衝動的な言動や失敗で
しょちゅう人から叱られ疎まれた。

 

「みゆちゃん怖い」
「みゆちゃんあっちいって」
「竹田はどうしようもないな」
「何をやっているんだ!」
「やめなさいと何度も言っているだろう」

 

どれだけ人からこんな言葉を投げかけられたか分からない。

 


言われたその瞬間は私もシュンとするのだが
遊びが始まったり
興味があることが起こると

 

すぐにまた友達のところにいって
笑顔で
「ねぇねぇ」
「楽しいね」

 

と懐いていく。

 

そうすると
友達もさすがに無下には出来ないし
天真爛漫な私の姿を何度も見ているうちに
「コイツはもう仕方ない」
「本当にバカなのかもしれない」
という感じで受け入れてくれたりする。

 


だから私は
沢山嫌われてひどい言葉を言われてきた割に
無視をされたり、いじめられたりした経験が
ほとんどないのかもしれない。

 

本当は心のどこかに
ひどい言葉をかけられて傷ついている気持ちはあるのに
友達と仲良くしたくて
目の前の時間を楽しく過ごしたくて

 

すぐに私は

全部無かったことにして
おどけて笑わせて場を和ませてしまう。

 


そのせいで私は
いつも「コイツはバカ」
という扱いをされていたと思う。

 

どんなに傷つけられても
すっかり忘れたかのように笑っている私は
いつもバカにされていたのは当たり前だったのかもしれない。

 


先生に対しても同じだ。

 

小学生の頃は
どんなに怒られても
平然として同じ事を繰り返すし
ヘラヘラと笑っている私。

 

勉強も全然出来なかったせいもあり
私のことを完全に「バカな子」という扱いをしていたと思う。

 

 

 

養父母が機嫌が悪いと

 

人の悪口が始まる。
私が大好きな人達の悪口を聞かなければいけなくなる。

 

テレビを見ていても文句ばかりを言い出す。
私は楽しい気持ちなのに途端に嫌な気持ちにさせられる。

 

私に対して小言やバカにする言葉ばかり投げかけてくる。

 


とにかく
その場にいるのがつらくなる。

 


そのうちに私は
何とかして養父母を笑わせようとするようになった。

 

バカな顔をしたり
バカみたいにおどけて振る舞うと
「こいつ本当にバカだな」
と言って笑う。

 

養父母は私を馬鹿にして笑っているうちに
機嫌がよくなってくる。

 

私はその場にいることが楽になる。

 

 

 

こんなことから

私はいつでも
自分がバカをやって笑わせて

その場の空気を良くしなければならないと思い込んでいた。

 

人が集まると
私がバカなことをして笑わせる。

 

本当は真面目なことを言いたいけれど
ちゃんと扱われたいけれど
バカにされてもその場が盛り上がることを優先していた。

 


大人になっても
人が集まると自分が盛り上げようとしていた。
人の集まりは私にとってはいつも接客だった。

 

いつも人から誘われるけれど
いつも行きたくなかったし憂鬱だった。
面白いと褒めてくれるけれど空しかった。

 

盛り上げているけれど
私は単にバカにされていたと感じていたからだ。

 

 

 

多分私は
いつも楽しい空気にしたかっただけなのだ。

 


養父母との関わりのせいで

 

人が不機嫌になると自分が攻撃される。
人が不機嫌になると自分の居場所がなくなる。

 

そんなふうに思うようになってしまった。

 


人が私に対する気持ちとは関係なく
落ち込んでいたり
イライラすることがあることが分からなかったのだ。

 


だから
人にはいつも楽しんでもらわなければならない。
私がどうにかしなきゃいけない。

 

そう思い込んでいた。

 


冷静に考えれば
私は何故こんなに追い詰められていたのだろうと思う。

 

 

 

今はもう目が覚めた。

 

人が楽しい気分じゃなくてもいい。
人生は色々あるんだから仕方がない。
いつも明るく楽しく振るまわなくたって構わない。

 

私だって同じだ。
基本的に明るく楽しくしていたいけれど
時に落ち込んでイライラしていたっていい。

 


場の空気が悪かったら
私だけがその空気を変える役割を担わなくて良い。

 

そこにいるみんなの責任だ。

 


これが分かってから
私はピエロじゃなくなった。

 

相変わらず人を笑わせるのは好きだけど
ピエロにはならない。

 

笑われているんじゃなく
笑わせているんだと思っている。

 


やっと自分は
人から笑われる人間ではないと思えるようになった。

 

私を笑う人間から遠ざかることが出来て
やっと人から大事にされるようになった。

 


とても幸せなことだ。