逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝23 性的虐待を受けた私

私が受けた性的虐待の話をしたい。

 

このことについて
詳細に書くかどうかはとても悩んだ。

 

私の友人も苦しむと思うし
私を知る人にもつらい思いをさせてしまうと思う。

 

でも
これを書くことが必要だと思った。

 


性的虐待が
どれほど日常に隠れているか
どれほど自然に行われているか
どれほど子どもが抗えないか

 

それを私は伝えたいのだと思う。

 


私よりもずっと辛い性的虐待を経験した人も少なくない。

 

それを苦しいながらも語ってくれている人がいて
それに救われた人は沢山いると思う。

 


でも私のような
真綿で首を絞められるような
じわじわと日常的に性的虐待があった人もいる。

 

そんな人に
自分より大変な経験の人がいるのだから
自分の経験は大したことはないなんて思わないで欲しいと伝えたい。

 

自分が思っているより
大きな傷を負っているということに気づいてほしい。

 

分かりづらい性的虐待が
どれほど自分の自尊心を奪ってきたか
自分を信じられなくしてきたか気づいてほしいと思うのだ。

 

 

 

同じような経験をした人は
読んでいてとても辛い思いをすることになると思う。

 

状態があまり良くない時
心が不安定になりそうだと思ったら
その時は読まずに飛ばして欲しい。

 

 

 

小学校4年生くらいになると
養父母の様子がこれまでとは変わってくる。

 


バブル時代がやってきた。

 

この時代の変化は
私にも大きな大きな影響を及ぼした。

 


今思うと
もしバブル時代ではなかったら
もっともっと悲惨な状況は続いていたのではないかと思う。

 


私が自分の経験から思うのは
虐待をする親の経済状況によって
悲惨さは変わってくるのではないかということ。

 


経済状況が困窮すれば
虐待する親は
生活の不安が高まり虐待の程度や頻度が増す。

 

何かを消費することによって
ストレスを解消したり
自己肯定感を上げたりすることもできずに
不機嫌な状態が続く。

 

お金によって解決できることも
解決できないので
問題を抱えて追い詰められた親はさらに虐待をする。

 


こんなことも起こりうるのではないだろうか。

 

 

 

養父母も経済状況が好転することで
様子が変わっていった。

 


この頃
経営しているスナックが連日満席のようで
かなり羽振りが良かった。

 


ケチは相変わらずだったし
「うちは貧乏」は言い続けていたけれど

 

スナックを綺麗に改装し
養父は何百万もするクロスボウを買い
養母は高い服を買って身綺麗にするようになった。

 

私に対しても
「子どもは自分のアクセサリー」と思っている様子で
私にも服を買ってくれるようになり
私が人に褒められると鼻が高いようだった。

 


養父母はケンカをしなくなり
養父は機嫌が良い日が増え
私に対する暴言もかなり減った。

 


これで虐待が無くなったかというと
そうではない。

 

虐待の種類が変わってきた。

 


相変わらず暇な養父の監視は続いている。

 

養父がお金を持つことによって
どうなったかというと
お金によって私をコントロールするようになったのだ。

 

 

 

私はずっと
表面上は養父母の機嫌をとっていたし
言うことを聞いてはいたが

 

心の中では少しずつ
養父母に対して疑問を持ち始めていたし
反抗心も育っていた。

 

多分それがたまに出ていたのだと思う。

 


小学校4年生ぐらいから
養父の態度が変わってきた。

 

あれほど
ブスだバカだブタだと容姿を罵っていたのに
みゆは可愛いと言い出した。

 


経済状況がよくなり
養父の機嫌がよくなったこと

 

私が4年生になり
少しずつ「女」になってきたことが重なったからだろう。

 


養父はお金によって
私を性的欲求のはけ口に使うためにコントロールした。

 


養父の性的虐待は
無理に強いた訳ではないと言えるギリギリのところを狙っていた。
弱い人間をコントロールすることにかけては天才的だった。

 

 

 

小学生の時は
バブル期のせいだろうか

 

子ども達も明らかに豊かになっていった感じがする。

 

身綺麗な子どもが増えていたし
娯楽や遊びも
親に買ってもらえなければ
友達と遊べないものが流行ることが多かった。

 


ビックリマンチョコ
ベーゴマ
ヨーヨー
スライム
練り消し
ろう粘土・・・

 

次々とクラスでの流行は移り変わり
ついて行くためには
親に買ってもらわなければならない。

 


この時代は
みんなが同じ物で遊ぶ時代だったと思う。
流行のものを持っていないことは
友人と仲良くすることを諦めるようなものだった。

 


逆を言えば
流行の物を持っていさえすれば
友人と上手くやりやすい良い時代だったのかもしれない。

 

 

 

流行の物は
一つ一つはそんなに高価なものではない。

 

だけど養父に買ってもらうのは難しい。

 


養父は

 

自分の趣味にはお金をかけられる。

 

自分の価値に影響してくる
妻や子どもの容姿を整えるためにもお金をかけられる。

 

自分が一緒に楽しむのなら
娯楽にもお金をかけられる。

 


自分と関係の無いところで
お金を出す気は毛頭無かった。

 

 

 

私は小学生の高学年にもさしかかると

 

変な行動を笑われたり

馬鹿にされたり嫌われたりすることは相変わらずだったが

 

少しは友人と上手くやれるようになっていたし
一時的に人気者になることも増えていた。

 

とにかく
笑われても馬鹿にされてもいいし
どんなことをしてでも
学校で友人と上手くやらなければと必死だった。

 

だから流行のものを手に入れなければならなかった。

 

 

 

そんな私はまんまと養父の罠にはまっていた。

 


養父は養母がいない時

 

胸を見せろ
局部を見せろ
というような事を言った。

 


幼いながら恥ずかしい気持ちがあったので
最初は拒否をしたと思う。

 


それに対して養父は
「なに勘違いしてんだお前」
「親として当たり前だろ」

 

恥ずかしがる方が変な考えを持っている
という主張をする。

 

だから私も
親に対して恥ずかしがるなんて私は変な子どもだ
と思ってしまったのだ。

 


二人の時は
暇さえあれば
上着をめくって胸を見せる。

 

下半身の方はさすがに抵抗があり
お風呂に入っている時に見せていた。

 

自分が体を見せると
養父の機嫌が良くなることが明らかだった。

 


恥ずかしくてたまらない気持ちも湧き起こる。

 

そうして私が拒否をした日は
激しく罵倒され叱られ
絶対に
学校に必要なものさえ買ってもらえなくなり
すべての許可が下りなくなる。

 


暗黙の了解で
体を見せないならひどい扱いをするけど
体を見せるなら良い思いをさせてやる

 

こんなルールが養父から伝わっていた。

 


それで私は
自由を得るために
体を見せるしか無くなった。

 


このことを後から思い出した時に
私はとてつもなく苦しんだ。

 

「自分は何ていうことをしていたんだ」
と自分を責める日々はとても長かった。

 

自分は小学生にして性を売っていたのか
あの養父に媚びていたのか
そう自分を責めて恥ずかしくて死にたくなった。

 

 

 


さらに養父は
愛着を求める子どもにスキンシップを与える形で
私を性的欲求のはけ口に使ったのだ。

 

 

養父は機嫌が良いと
私を膝の上にのせた。

 

小学校低学年の時は
養護施設で経験の無かったスキンシップが
言葉にはならない幸福感があった。

 

人肌のあたたかさ。
つつみこまれる安心感。
孤独から解放される感覚。

 

これは
子どもの頃の私が強く強く欲する物だった。

 


その直前まで
罵倒されていたり叩かれていたりしても

 

養父の気が済んで
「おいで」
と言われると
怯えながら泣きながら膝の上に乗る。

 

どれだけ理不尽にひどい扱いを受けても
その後のこのご褒美で
私はすっかり忘れて幸せな気分になり
バカみたいに養父に懐いていった。

 


このスキンシップがあったから
養父は愛情で自分をあれほどまでに叱るんだと思ってしまった。
養父に対して不満や怒りを持つことが出来なくなってしまった。

 


その膝の上にのせられるとき
二人きりの時だけだと思うのだが
背中に固い物を感じていた。

 

その時は当たり前だが意味は分からなかった。

 


養父は小学校低学年の私に
性的興奮を覚えていたのだ。

 

 

 

食後にテレビを見るとき
養父は横になる。

 

機嫌が良い時は私を呼び
私を前に抱えながら横になる。

 


これも今思い出すとゾッとするが
この時は嬉しくて仕方なかった。

 


小学校2年生か3年生ぐらいの時だろうか
その興奮した養父の局部に気づいた私は
「なにこれ」と触れた。

 

養父は
「可愛いだろう触ってごらん」
と触らせた。

 

局部が動いて生き物のようで
私は可愛いと喜んだ。

 


それは日に日にエスカレートし
「もっとこうして」
「なめて」
と私に指示をするようになり

 

最終的に
完全に性的な奉仕をさせたのだ。

 


本当にバカだったが
これがこんな意味があったなんて
本当に分からなかったのだ。

 


小学校4年生ぐらいになると
なんとなく意味が分かってきて

 

養父に対して嫌悪感を持ち始めた。

 


それでも
学校生活で許可を得るために
様々な性的欲求に応えてきてしまったと思う。

 

 

 

家でショートパンツを履けと買い渡される。

 

マッサージと称して
お尻をもみながら
脇から指をいれ私の局部を触る。

 


「おまえももう彼氏と色々やるだろうから練習しないと」
などと言い出して
私の上に乗っかり
太ももの間に自分の局部をこすりつけながら腰をふる。

 


このような行為は
信心深い養父が300万くらいで購入した
金ぴかの仏壇の前で行われた。

 

普段
ご先祖様を敬う姿勢はすごい。
毎日豪華なお供えは欠かさない。

 


私はこのような行為を受けて
自分が殺されていくような気持ちでいた時に
いつも仏壇を睨んでいたのをよく覚えている。

 

これが神や仏が黙って見ている行為なのか。
お供えをしていればこんなことをする男に何もないのか。
だとしたら神や仏もどうしようもない。

 


ひどい侮辱だが

この時の気持ちだから許して欲しい。


だから私は神や仏が信じられない。

 

 

 

私自身は無抵抗だったわけではない。

 

抵抗をする度に
修学旅行に行かせないなど
私は学校生活が立ちゆかなくなり
結果的に抵抗をやめたときにされたことだ。

 


とても異常だったのは
ここまでの性的虐待がされていても
普通の家族ごっこは継続しなければならなかった。

 


ここまでしても挿入をしていない。
強引にしている訳ではない。

 

そんな空気で

 

養母と三人の時は
養父は仲の良い家族ごっこを始める。

 

私は子どもらしい言動をしなければならなかった。

 


それもまた苦しいことだった。

 

 

 


中学三年生ぐらいになると
私も女性らしさが増し

 

養父が私を求める強度が増してくる。

 


私がどうやって自分を守ったかというと
養父の気をそらすことだ。

 


養父はつねに
私に対して性的に興奮しているわけではない。

 


落ち着いている時には
私と楽しい話もしたい。

 

私に愚痴も聞いて欲しい。

 

私に自分の子どもとして
優秀でいてほしい、良い学校に入って欲しいと思っている。

 


だから
私はとにかく養父を笑わせた。
面白い話をして楽しませた。

 

なんとなく性的な雰囲気にもっていこうとされても
笑いでごまかした。

 


養父のやりきれない思いに深く共感し
心を慰めた。

 


性的な雰囲気に持って行かれそうになると
勉強しないと良い成績がとれないとブツブツ言った。
学年トップをとってから養父は勉強を少しだけ応援するようになった。

 


そうやって
とにかく性的興奮をさせないように気を紛らわせた。

 


無理矢理に私に性的虐待を出来ない養父。
言葉ではなく
空気で攻防が繰り広げられていた思う。

 

高校生な頃には

 

私は養父にとって
人として大事な存在になってきていて

 

私に強く出られない時も増えてきていた。

 

 

だんだん私は

外の世界の比重が大きくなっていた。
外の世界で褒められて自尊心も少し上がっていて
知識や知恵もついていた。 

 

この頃言葉になっていなかったけれど

 

多分私は

 

今までのことを黙ってやっている
それでもこれは性的虐待ではないことにしてやって
仲良く楽しく家族をしてやっている

 

まだ性的虐待を続けるなら
私は楽しませることも話を聞くこともしないし
家族ごっこはやめる。
これを誰かにぶちまけたっていい

 

ここまでの気持ちがあったと思う。

 


この気迫を感じたのか
高校生になってからは

 

性的な言葉をよく私に投げかけたが
触ったりはしなくなっていた。

 


その代わりに
私という存在に執着するようになり

 

この頃から

 

「自分から離れたら承知しない」
「逃げたらこのボウガンで殺す」

 

と冗談のように言うことが増えた。

 

 

 


これが私が受けた性的虐待だ。

 

無理矢理ではなかったからこそ

 


私が拒否をしきれなかったのがいけない。
私が受け入れたのがいけない。
私が自分の得のために選択をしたのがいけない。

 

そんなふうに自分を責め続けた。

 


幼いときにこんなことを経験した自分は
汚れきっていて
もう普通の女性にはなれない。

 

そんなふうに自分を見限っていた。

 


今なら分かる。

 

小さい頃の自分には選択肢がなかった。
こうするしかなかった。

 

家では地獄で
外でも逃げ場が作れなかったら
私は絶対に壊れていたと思う。

 

よく頑張って生き長らえたと
ただ褒めたい気持ちだ。

 


汚れてしまったような気持ちになってしまうけれど
洗い流せる汚れだ。

 

泥を浴びせられてしまったけど
綺麗に洗い流せばいい。

 


養父のように泥そのものではないのだから
綺麗に洗いながせばいい。

 

私は今はそんなふうに思えている。