逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝⑱劣悪な家庭環境

私が育った家庭環境は著しく酷かった。

 


虐待をするような親は
きちんとした生活を送れない人物である可能性も高い。

 

被虐待児は

虐待だけでなく
養育環境が劣悪であることもまた大変な苦しみだ。

 


普通の環境で育った人には
とても信じられない環境だと思う。

 


家が古くボロボロだった。
これは私の年代の人ではそんなに珍しいことではないかもしれない。

さらに片付けや掃除が行き届いていないと

相当に汚いのだ。

 

これがもう本当に思い出したくない
私のトラウマだ。

 


衝撃的な描写になると思うので
虫が苦手な人
食事の前後の人は読むのを控えてほしい。

 

 

 

私は家の台所が本当に怖かった。

 


何が怖かったかというと

 

家の台所には
家の中に出没する代表的な害虫「G」が出没するのだ。

 

秋冬はまだ良い。
春夏の台所は恐怖だ。

 


油汚れが沢山飛び散ったままのコンロ
ところどころに野菜くずが散らばっているシンク横
洗い物が溜まり汚れているシンク
食べかすが落ちている床

 

キッチン収納の引き出しには
鰹節や乾物がしっかりと封をされずに放り込まれている。

 

シンク下は古く汚く
木がボロボロと欠けていてカビているのに
米びつが置かれている。

 


引き出しを開けてGに遭わなければラッキーだ。
いつも引き出しを開けるときには
「えいっ」と勇気を出さなければならなかった。

 

台所は昼間でもとても暗くジメっとしている。
昼夜かまわずGは出てくる。

 

朝、何か食べて学校に行かなければならない。
キッチンでごはんをよそおうと茶碗をとる。
そこにGがいる。

 

狭いキッチンを通り抜けた先にお風呂とトイレがある。
毎日キッチンを通る時は本当に怖かった。
Gに遭わないように
Gを踏まないように
ひやひやしながら毎日キッチンを通る。

 

頻繁に出くわすが
動き出さないようそっとトイレに向かう。

 


小学校4年生ぐらいの時には
私がお米をとぐ役割だったのだが
これには相当抵抗した。

 

なぜなら
米びつの置いてあるシンク下は
私にとって恐怖の場所だったからだ。

 

扉を開けると真っ暗。
今思い出しても中がどうなっているか分からない。
ボロボロと欠けた木とカビのニオイ。
飛び出してくるGしか覚えていない。

 

お米をとごうとシンク下の扉を開けるとき
Gがいるのは分かっていたが
飛び出してこないのを祈るばかりだった。

 


書いていて笑えてきた。
お米をとぐだけで
トイレに行くだけで
私は毎日、どれだけ恐怖と戦っていたんだ。

 


さらに
おぞましい場面を思い出した。

 

養父は面白がって
Gを捕獲するホイホイを仕掛けた。
「どれぐらいとれるか楽しみだな」
とニヤニヤしている。

 

非常に悪趣味だ。

 


一週間後
養父のお楽しみの時間がやってくる。

 

ホイホイをオープンする。

 


一週間でびっしりだ。
どれだけひどい環境だったか
想像してもらえるだろうか。

 


ホイホイを見せられる。
全部埋まっている。
生きている。大小さまざま。大惨事。

 

それをマジマジと観察して嬉しそうに笑いながら
聞きたくもないのに
その様子を細かく解説する。

 


泣き叫ぶ私に対して

 

ホイホイを持って追いかけ回し
「ほらちゃんと見ろって」
と大笑いしている。

 

このシーンは何年もトラウマだった。

 


このせいで私は今も
世の中で一番怖いものは
Gだ。

 


思い出した。

 

私が養父を尊敬していたところが一つあった。

 

何故かGにはめっぽう強い。
全く怯えない。

 

見つければ笑いながら簡単にやっつける。

 

Gが何より怖い私にとって
Gに全くひるまない養父はすごいと思っていた。
ここだけは認めていた。

 

今思えば
養父は強いのではなくて
何もかもに鈍感だっただけなのだが。

 

 

 

ケチな養父母は
お風呂のお湯をほとんど変えなかった。

 

養父は
「湧かすから菌は死ぬ」という
お得意の自分だけの理論で
お湯を変えない。

 

今のお風呂のように
循環して綺麗になるわけではない。

 

水を入れて湧かす方式のお風呂だ。

 

何日も何日も継ぎ足していく。

 


私がお湯を勝手に抜くと烈火のごとく怒る。
競馬で何万も使うのに
養父は節約節約とつねに口にする。

 


あの濁ったお湯
あのニオイは本当に耐えられないものだった。

 

しかもシャワーは無かった。

 

このお湯で体を流し
頭を洗わなければならなかったのだ。

 

 

 

食べ物も賞味期限がとうに過ぎたものを食べさせられる。

 

養父母は私と真逆で
全てにおいて鈍感だったから
傷んでいるニオイに全然気づかない。

 

気づくのは
相当傷みが進んだものだけだけだ。

 

私はどれだけ傷んだものを食べさせられただろう。

 


茶色くにおいのするごはん。

 

すっぱい豆腐の入った味噌汁。

 

強いニオイを放つ牛肉や鶏肉。

 

生臭い魚。

 


「好き嫌いばっかり言いやがって」
「誰が食わせてやってると思ってるんだ」
「これを食わないなら飯は抜きだ」

 


こんなものも
食べなければいけないんだと思っていた。

 

ずっと自分は好き嫌いが多くワガママで
食べられないものが多い劣った人間だと思っていた。

 


涙を流して
水で流しながら
えづきながら必死に食べていた場面を思い出す。

 

 

 

養父母はヘビースモーカーだった。
消しては付け消しては付けという感じだった。
2人がそれぞれ一日2~3箱は吸っていた。

 

つねに、家中がタバコの煙で真っ白だった。

 


ずっと養父と一緒に居間で過ごさなければならなかったし
さらにそこに養母も家にいる時ずっと吸っている。

 

副流煙が話題になっているが
私が吸いこんだ副流煙はとんでもない量だ。
小さい頃に相当吸いこんだから
今も肺がんになるんじゃないかと怯えている。

 

気管支が弱かったけれど
それは弱るよなと思う。

 


多分
いつもタバコ臭い子どもだったと思う。

 

中学生になるとそれを自覚するようになる。
いつも周りにたばこ臭いと言われる。

 

あれだけのタバコの量だから
二階にかけていた制服もすっかりタバコのニオイになる。

 

雨の日なんて最悪だ。
私の周りはすごいタバコのニオイが充満する。

 


ちょっと反抗的で
ヤンキーの子と仲が良いときもあったから
私がタバコを吸っているという噂もたった。

 

思春期に
制服がひどいタバコのニオイがするなんて
とてつもなく恥ずかしいものだ。

 

 

 

朝方3時4時くらいに
酔っ払った養母が帰ってくる。
養父とお客の悪口で盛り上がっている。

 

その声で目を覚ます。

 

トイレに行きたくても我慢する。
酔っ払った養母は
普段よりもっと頭が悪くなって
よく分からないことを口走るし感情を丸出しにして絡んでくるから
私は起きていることを悟られたくない。

 

こんな毎日だったから
ぐっすりと眠れたことなんてなかったと思う。

 

 

 

思い出すと
本当にひどい環境だったが
その時は気づいていなかった。

 

気づいていなかったというのが正しいか分からない。

 

他の家の子の環境が良いことは分かっていたし
自分の家の環境が酷いことは分かっていたけれど
当たり前だとしか思っていなかった。

 

なんというか
自分にはふさわしいというか
仕方がないと思っていた感じだろうか。

 

住むところと食べるものを与えてもらっているだけで
感謝しなければならないとすり込まれていたから
不満なんて持てなかったのかもしれない。

 


それに何故か
家庭環境が劣悪なことが親のせいだなんて思っていなくて
なんだか自分自身の恥だと思っていたから
自分の恥を隠そうと必死だった。

 


思い出してみると
虐待されたことも
人から馬鹿にされたり疎まれたりすることも

 

私は全てを自分のせいだと思う癖があった。

 


我ながらなんていじらしいんだと思う。

 

私が何もかも自分のせいにする癖は

40を過ぎるまで直らなかった気がする。

 

自分のせいじゃないことがある。

なんて楽なんだろう。

本当にそう思う。