逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝14 容姿にコンプレックスを持つ私

これまで
どれだけ人と違っていたかを書いてきた。

 


不幸はまだある。

 

容姿も人と違っていた。

 

なんというか
規格外という感じだろうか
悪い意味で目立っていた。

 


今まで書いてきた行動をとってきたとしても

 

もし容姿が普通だったり
可愛い感じの雰囲気の子どもだったら
また違う人生だったんじゃないかと思う。

 


規格外と言っても
今の私を見ても伝わらないかもしれない。

 

40代。
もう生まれつきの容姿だけじゃなく
手入れの状態や心が容姿に表れてくる年代だ。

 


私の小さい頃は・・・
35年くらい前だろうか。

 

いや大学生の頃もだから25年前でも。

 

容姿いじりが盛んだった。
そういう笑いが全盛だった時代だ。

 

人が集まれば
誰かの容姿をいじっている感じだった。

 

いじる側も何の悪気もなく
場を盛り上げるためだったり
本当に普通のコミュニケーションとして
容姿をいじっていたんだと思う。

 


だけど
容姿に特徴のある側の人間はたまったもんではない。

 

いじられる役割を一手に引き受けることになる。

 


これは誰しも同情してくれるだろう。
私は最もいじりやすい特徴を有していた。

 

反対咬合。
いわゆるシャクレだ。

 

同じような悩みの方
こんな表現をしてすみません。
多くの人に伝わる表現をさせてもらう。

 


ちょっと顎が出ているぐらいなら
美人に見えなくもない。

 

私の場合は
上の歯に下の歯が被さっている
見事なシャクレだ。

 

シャクレ独特のしゃべり方で
舌っ足らずで
からかわれることが多かった。

 


運が良いのか悪いのか
私は目がパッチリして鼻筋も通っていた。
上半分は綺麗だと言われる顔立ちだった。
それでシャクレだったので
余計に目立つ容姿だったと思う。

 


今だからもう笑えるが
小中高大と学年で
「あの顎の子ね」で多分通じてた。

 


早い時期に矯正をすればいいけれど
養父母がそんなことをしてくれるわけはない。

 

むしろ養父母が率先して
私の容姿を馬鹿にして喜んでいたのだから。

 

 

 

シャクレだけではない。

 

さらに残念だったのは
並外れた太い眉毛だ。

 


これも今となっては笑い話になってしまうが
本人は切実だ。

 

多分35年前は
子どもが眉毛を整えるなんてあり得なかった。

 


どのくらいの眉毛だったかというと

 

今活躍中の加藤諒くん。
彼と同じ眉毛を持っていた。
彼は男の子だからいい。
それにシャクレていない。

 

彼と同じ眉毛でシャクレている。
もう二重苦だ。

 

運が悪いことに
北斗の拳が流行っていた。

 

そう。私のあだ名は
ケンシロウだった。

 

どれだけ
「あたたたた・・・」
と戦いを挑まれただろうか。

 

 

 

もう一つ。

 

さらにさらに
私はかなりのつり目だった。
つり目の人なんて珍しくないと思うのだが
私のつり目は群を抜いていた。

 

笑うとかなり細くつりあがる。

 

運が悪いことにキン肉マンが流行っていた。
私のあだ名はラーメンマンだった。

 

ケンシロウにラーメンマン・・・
女の子のあだ名だ。

 

 

 

あと今は気に入っているが
私は目の色素が薄い。

 

当時はカラコンも無いし
私の住む下町にはハーフの子もいなかった。
この目の色が相当珍しかった。

 

ハスキー犬だとか
目がイッてるとか
吸い込まれそうで怖いとか
やたらと怖がられた。

 

残念なことに
これで三白眼。

 

表情もあっただろうが
いつも目つきが悪い
にらんでいると言われていた。

 

この顔立ちじゃ
柔らかい雰囲気を出すなんて無理だ。

 

 

 

これまで書いてきた
私の奇行だが

 

この容姿の子どもがしていたと想像すると
だいぶ印象が変わるのではないだろうか。

 

ごん太の眉毛
つり目で薄い眼の色で三白眼
シャクレ

 

こんな子どもがあんな行動をしていた。

 

より目立つし
より奇行に映るし
より可愛げがなく見える。

 


容姿の良し悪しよりも
規格外であることは
人から見える人格も変えるのだと私は経験から思っている。

 

 

 

規格外なのは顔立ちだけじゃなかった。

 

私は頭と顔がとても大きかった。いや今も。

 


小学校4年生の時だったかな。
デニムの校帽をみんな被っていた。

 

何かの空き時間に
ふざけて友達同士で被りあったりしてた。

 


私の帽子を男の子がかぶる。

 

「なんだこいつ!でけぇ」

 


その時初めて知ったのだ。
自分の頭のサイズが異常だったことを。

 

校帽の内側を見るとサイズがついている。
女子はだいたい52センチ。
男子でも54センチ。

 

私は・・・56センチ。
とてつもなくデカい。

 

大人になればこのサイズの人も少しはいると思うが
小学生にはいない。

 


集合写真で
いつも私だけが一回り二回り顔が大きかった。
完全に遠近法を無視していた。

 

小学生の時は体が小さいから
アンバランスだ。

 


大人になってからは
体も大きくなってバランスが取れてきて
あまり目立たなくなったし
私ぐらいのサイズの人も居なくはないから
目立たなくなった。

 


最近は女子が自分の顔を小さく見せようと
後ろに下がると言っているが
私は小学生の頃からやっているぞと思っていた。

 

私なんてもう一周回って
今は開き直って前に出る。

 

 

 

私の大きな悩みはきつく見られることだった。

 

小さい頃は
真っ直ぐな物言いで
反抗的で
実際にもきつい部分が多かった。

 


でも
一時期
鬱状態で物静かで自己主張をしなかった。

 

それに
自分がきつく見られることが分かってから

 

つねに笑っていようと努力をした。
何をされても怒ってはいけない。
人に優しくしなければならない。
そう努力しつづけた。

 

それでも怖い、キツいと言われていた。

 

 

 

小柄で丸顔で可愛らしい子は
どんなにハッキリとひどいことを言っても
わがまま放題でも周りは笑っている。

 

こんな場面を何度も見て思ったのは
容姿によって言葉の伝わり方まで変わるんだということ。

 

 

 

太い眉毛につり目にシャクレ。
多分人は
この特徴をもつ人物に知らず知らずにきつい印象を受ける。

 

今の私だって
昔の自分に会ったらきつい印象を受けると思う。

 

人は無意識に偏見を持つものだ。
仕方が無い。

 

私はそれが分からずに
自分はきつい人間だ、性格が悪いと思い込んできた。
そして本当にそうなっていったと思う。

 

これはなかなか理解されないと思う。
自分ではどうしようもない部分で恐れられることが
どれだけやるせない思いか。

 


多くの人が人を怖いと悩んでいるが
私は真逆の悩みで
傷つけられると言うより
人を恐れさせる自分の存在に悩むことが多かった。

 

 

 

まだある。

 

私の足のサイズは26センチだ。

 

今でこそ
少し驚かれるだけで済むが
昔はもう驚かれるなんてもんじゃない。

 

女じゃない。
そんな扱いだ。

 

いつも自分の足のサイズがバレないよう
ビクビクしながらいた。

 


毎日下駄箱で靴を履き替えるとき
履いてないと靴が大きいのが目立つから
足の大きさがバレるのが怖くて
毎日コソコソ履き替えていた。

 


ボーリングデートの時は
25センチを無理に履いた。
足が死ぬほど痛かった。

 


当時は女性用の大きなサイズの靴がなくて
制服に男子のローファーを履いていたから
明らかに足が大きくて
よく指をさされていた。

 


オシャレをしたくてもいつも靴がなかった。
女性用の大きいサイズが出てきたときは
本当に嬉しくて泣いた。
それ以来
ハイヒールが好きで好きで
いつも履いてた。

 


彼氏より足が大きい時もあって
それが怖くて長身の人としか付き合わなくなった。

 

足も大きければ手も大きいから
つきあい始めに手をつなぐと
必ずすごく驚かれるのも嫌だった。

 


たかが足が大きいだけと思うかも知れないが
どれだけ私の自尊心を奪われてきたかと思う。

 

 

 

こんな感じで
本当に私は
どれだけいじられてきただろうか。

 


いじられてきた言葉の一覧だ。

 


「猪木」←これはもう100回は言われた
「あご」←そのまますぎる
「お月様」←三日月ということだろう
「まゆげ」←そのままだけど男子に相当言われた
「ケンシロウ」
「ラーメンマン」
「きつね」
「ざつぎ」←中国雑技団にいそうということらしい
「馬鹿の大足」
「でか足」
「巨大足族」

 


書いてきてもう笑えてきたが
思春期は本当に恥ずかしく
死にたい気持ちだったことは確かだ。

 

ちなみに家で虐待されてる時だ。

 

 

 

よくあったのは

 

何か言い合いになって
相手が劣勢になれば

 

一言
「アゴのくせに」
と言われること。

 

アゴのくせにって何だ
と思うけど
もちろん私は致命傷を負って黙る。

 

このやりとりは大人になってもあったと思う。
とても幼稚だけど
この容姿攻撃を使う人は多い。

 

 

 

私がどうやってモテたりしてきたかというと
例によって
死に物狂いの努力のたまものだ。

 

シャクレが目立たないような表情や角度を
来る日も来る日も研究した。
そしてたどり着いたのが
うつむき加減で口を開け気味にすること。

 

シャクレが目立たないようなメイクを
来る日も来る日も研究した
顔の余白を小さくするといいと発見し
アイメイクを濃くしたり
リップを厚く見せたりした。

 

シャクレが目立たない髪型も研究した。
前髪を作らない。
顔を全て覆わない髪型。
トップにボリュームを出すなど。

 

太りすぎると大きい顔が余計大きくなるけど
痩せすぎるとアゴが目立つから
ちょうどいい体重をキープする。

 

オシャレを頑張った。
自分のスタイルが綺麗にみえる服。
顔が小さく見える服。
美人に見える服を探しに探した。

 

 

 

馬鹿みたいな努力だけど
これで少し綺麗に見られるようになった。

 

この努力のお陰で
顔にコンプレックスを持つ人の
ヘアやメイクが上手になった。
体型にコンプレックスがある人の
スタイリングが上手になった。
どうすればコンプレックスがマシに見えるかが分かる。

 


こんな感じで
ずっと醜形恐怖症だった。
いまだに1人で家にいるときもスッピンではいられない。

 

27歳頃だったかな。
醜形恐怖がひどくなって
毎日5時間は鏡を見ていた。
メイクが気に入らないと外に出られなかった。
このときは自分の醜さが苦しくて苦しくて仕方なかった。

 


年を重ねるごとに
何故か少し綺麗キャラになって
「みゆさんは綺麗だからブスの気持ちは分からない」
とか言われるようになった。

 

30を過ぎると
顔立ちよりも雰囲気を重視されるような気がする。

 

私は努力によって
なんとなく綺麗な人に見せることは上手だ。

 


だから
私ほど努力をしていない人に
いつもそう言われるのが悔しかった。

 

私よりもずっと顔が小さくて
輪郭に問題がないのに
まだまだヘアもメイクもファッションも
やれることがあるのに
と思ってしまう。

 

 

 

今幸せなのは
37歳にして歯列矯正をして
反対咬合を治したこと。

 

やっと話し方が変じゃなくなった。
相変わらずアゴは出てるけど
前歯が上に被さっていることが
嬉しくて嬉しくて仕方が無い。

 


年をとって
つり目もマシになって
垂れ目に見せるメイクをするようになって
シャクレが治ってから
人の反応が大きく変わった。

 

私の言動は変わっていないのに
以前より私の優しさが伝わりやすくなった。

 


人は容姿じゃ無いっていうけど
それは大きく普通からはずれていない場合だと思う。

 

規格外の人が受ける偏見がどれだけのものか
受けた人しか分からない。

 


ずっといじられてきた
この何とも言えない気持ちは
容姿が規格外の人しか分からない。

 


自分がどんな個性を持とうが
どんな努力をしようが

 

その容姿の特徴が
自分のアイデンティティになってしまうのだから。