逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

自叙伝6 一日のうちに人が変わったようになる

小学校低学年
1、2年生の頃はADHDの症状が一番ひどかった。

 

いや
ずっとADHDの症状はひどかったか。
一番目につきやすい「衝動」の部分が特に出ていただけかもしれない。

 

私は分かりやすく
元気があれば衝動や多動が激しくなり
疲れてくると鬱のようにおとなしくなる。

 


自分の行動が全く自分の意のままにならない。
自分が勝手に動き出す感じだったから

 

必要のない時にエネルギーを使い果たしてしまって
一日を最後までちゃんと過ごせなかった。

 


私は朝一が一番元気だ。
小さい頃からずっと。

 

朝みんながむにゃむにゃする感じ
おっとりとボーッとする感じ
アンニュイな色気のある感じ

 

そんなのが
自分には全くなくて羨ましかった。

 


言葉には出来ていなかったけど

 

その時の感覚は
前日までのことを忘れて
朝には「ここから新しい一日!新しい私!」という感じ。

 

前日には無くなってたエネルギーが
満タンになって迎える朝は最高の気分だった。

 


昼に向かってだんだん

 

「あ、昨日やってしまったことが片付いてない」
「みんなは昨日までの私のこと忘れてくれないのか」
「あ、地獄のような環境にいるんだった」

 

なんて現実を思い出しては気分は落ち込んでいくのだけど。

 


この
「瞬間的に自分の置かれた環境を忘れることができる」
という特徴のお陰で

 

私は逆境でも明るく元気でいられたのではないかな。

 

 

 

せっかく朝に満タンになったエネルギーを惜しげも無く使う私。
それも大して有益ではないことに。

 

 

 

小学校低学年の時の私は

 


人を笑わせたり驚かせたりすることが大好きだった。

 


椅子の上に乗っかって振り付けをして歌ったり
まぶたをひっくり返して気持ち悪い顔をして追っかけ回したり
毛虫を木の枝に引っかけて追っかけ回したりして

 

みんなが大笑いしたり驚いたりする姿を見ると
もう私大喜び。大興奮。

 

 

 

人に注目されたり褒められたりすることが大好きだった。

 


授業では一番に手を挙げてやろうと必死で
とくに分かってないのに「はい!はい!」と手を挙げるウザい子だった。

 

計算のプリントを出来た順に先生に見せに行くときは
負けてなるものかと死にものぐるいで取り組み
すごいスピードで終わらせ、ぶっちぎり一番をとって席に座って
「あ~ひまだわぁ」とばかりに辺りを見回す気持ち悪い子だった。

 

給食のおかわりも負けたくなくて
早食いで大食いのマモルくんに勝とうと毎日味も分からず
必死に食べてる、自分の性別を分かっていない女の子だった。

 

 

 

人が困っている時に助けるのが大好きだった。

 


男子が女子をからかうところを見つけては
男子の戯れだっていうのに
本気になって両手を広げて「やめなさい!」と守ろうとする。

 

上級生が下級生をいじめていると
すっとんでいって「おにいさんが小さい子をいじめるな!」
と顔を真っ赤にして叫ぶ。
「こいつおかしい」と言われ別の意味で撃退に成功する。

 

授業で作業をするときに
分からない子や遅い子がいると
自分のは適当にやってひどい仕上がりで
人のものを必死に上手に丁寧に手伝ったりする。

 

 

 

とにかく一瞬一瞬に全力である。

 


普通の子が1年に数回あるかないかのMAXの興奮状態を
私は何でも無い日常でずっと感じ続けてしまう。

 

 

 

だから
昼にはエネルギーが切れてしまう。

 


これは一日のうちだけではなく

 

一ヶ月のうちでも起こるし
1年のうちでも起こるし
数年のうちでも起こる。

 


長いスパンでのエネルギー切れの話は
また後の機会にさせてもらう。

 

 

 

午後にエネルギーが切れてくるとどうなるかというと

 


ただでさえ人の話を聞かない子なのにもっと聞けなくなる。

 

ボーッとしていて反応が鈍くなる。

 

集中力がなくなって飽きっぽくなる。

 

体を動かすのも億劫になって面倒くさがりになる。

 

カッとしやすくなる。

 

 

 

だから学校にいても

 

友達と話すことも、楽しむこともできない
目の前の課題に取り組むことが出来ない
片づけや掃除などがちゃんと出来ない
いきなり怒り出す

 

とんでもない生徒になってしまう。

 


午前中までの子どもとは別人だ。

 


学校の先生はこのどちらを評価するかというと
エネルギー切れの時の私を評価するのだ。

 


午前中の素晴らしさは
たまたま、気まぐれにやっただけで
「自分勝手で気分屋」というレッテル貼りの材料にされるだけである。

 

 

 

私は先生にどんな子どもだと言われていたかというと

 


「お友達と協力できない子」
「やるべきことをやれない子」
「根気強くできない子」
「努力ができない子」
「人の気持ちがわからない子」
「気分屋で自分勝手」

 


そう

 

お前はダメな子どもだと言われているようなものだ。

 


この小学校、中学校の教師からの刷り込みがかなり強い影響を残し
私はずいぶんと長い間
自分はクズなんじゃないかと思い込んできた。

 

エネルギーが切れたときの自分は

事実ひどい状態だったし
この時代の先生の影響力は非常に大きかったので
「先生が言うんだからそうなんだ」と思っていた。

 


あぁもう
ここには書けないぐらい長い間
自分の人格を否定して苦しんで生きていた。

 

自尊心は地の底まで落ちた。
友人と何かある度、全部性格の悪い自分が悪いと思ってきた。
自分は性格が極悪だから、いつも隠して生きなきゃいけないと必死だった。

 


あの時間はなんだったんだろうって思う。

 


ずっと出会ってきた教師に対して怒りがあった。

 

35年前はADHDの子どもなんて存在しないことになってたから
仕方がなかったのかもしれない。

 

だけどもう少し
決めつけずに見てくれたら
迷いながら叱ってくれたら

 

私の長い苦しみは無かったんじゃないかと思ってしまう。

 

 

 


小学2年生の時の担任の小沢先生
中学1年生の時の担任の田口先生を思い出す。

 

私を理解してくれたのは二人だけだった。
だからよく覚えている。

 


小沢先生がつけた私の通知表の評価

 

他の子が見ていないところを見つけている
他の子が嫌がることを率先してやっている
他の子に教えてあげたり手伝ってあげたりする優しい子
算数はクラスで一番、自信をもって

 

あぁ書いていて泣けるじゃない。

 

ちゃんと見ていてくれた。

 


小沢先生が好きすぎて
例の遠くから見るパターンで
私はちゃんと近くで話をできなかった。

 

そんな私に気づいてくれて
みんなをそっちのけにして近くに来てくれたりしたのに
どうしていいか分からなくて私から逃げていった。

 

あぁもう私の馬鹿!
甘えるチャンスだったのに!

 

バーコード頭の年配の先生だったけど・・・
けどって失礼だ
本当に大好きだった。

 


はっ

 

小学生の時
好みのタイプが頭が薄い人ばっかりだったのは
小沢先生の影響じゃないか。

 

書いていて気づいた。
びっくりした。

 

 

 

田口先生の言葉もよく覚えている。

 


穏やかでおっとりとした美術の先生だった田口先生。

 

こじらせにこじらせて
ナイフのように尖り始めていた私は
グレてはいないし、学級委員もつとめていたし
ごくたまにすごく良い成績をとったりしていたが
色んな先生に刃向かっては問題を起こしていた。

 

よく職員室に呼び出されていた。

 

どの先生も
いわゆるヤンキーの生徒には
仕方が無いなぁという優しさを見せるけど
私に対しては心からの侮蔑の表情を浮かべていたのを思い出す。

 

ヤンキーの生徒はどこか素直で可愛らしいところがあるが
その頃の私はとにかく理詰めで反抗する生徒で
まぁ可愛げがない。

 

思い出しても恥ずかしいが
それはもう憎たらしい生徒だったと思う。

 


おっとりとした田口先生は
きっと私のことが怖かったに違いない。

 

だけどいつも不思議そうに私を眺めて

 

「どうしてかしらねぇ」
「本当は優しい子なのにこうなっちゃうのよね」

 

と私の目の前でじっと静かに悩んでいた。

 


無責任な言い方ではない。
私の機嫌をとる言い方ではない。

 


私を包み込んではくれなかったし
私の気持ちを聞き出そうとはしてくれなかったけれど

 

私自身もどうしようもなくて混乱していること
本当は優しい子だということ
それを理解してくれただけで私は本当に救われたのだ。

 


その後も私は反抗的な生徒ではあったけど
田口先生を困らせたくないという思いで
何度も踏みとどまった場面はあった。

 


その後の地獄のような人生でも
「本当は優しい子なのにねぇ」
という言葉をずっと頭の中で再生しながら生きていたのを思い出す。

 

大人から掛けられた人格に対しての肯定的な言葉は
私にはこれしかなかったから

 

たった一言だけど
私には本当に大事な大事な言葉だった。

 

 

 

エネルギー切れの私に対して
教師の評価はこんな感じだったが
当然友達の方の評価も揺れる。

 


小学校低学年の時は
友人は、別人のようになる天使と悪魔のような私に戸惑っていただけで
私を好意的に見てくれていたと思う。

 

普段はみんなより優しく面白く頼りがいがある。
小学校低学年の時は人気にはそこが重要だったのかもしれない。
たまにポンコツで乱暴者でも良かったのだろうか。

 

その頃は
好いていてくれたみんなのお陰で
なんとか元気に過ごせていた時期だ。
なんてありがたい。

 


小学校高学年にもなると
「普通」という概念を持ち始めるからなのか
友達からの
普通とは違う私に対しての拒否反応に苦しみ始めることになる。

 


エネルギーが切れてくると
先ほど挙げたような様々な問題行動が増えてくる。

 

最初はエネルギー満タンの私を好いてくれるのだが
その後に何度かエネルギー切れをした私を見て
「性格が悪い子」
と嫌われていくことが多々あった。

 

嫌われ方も複雑で

 

良いときの私は本当に良い子だったと思うから
良いときは「好き好き」と寄ってきて
悪いときは「嫌なやつ」と罵られての繰り返しで
完全に嫌われて距離を置かれることはあまりなかった。

 

あってもそこまでかなり時間がかかる。

 

一日のうちに全くの別人のようになる私に
周囲の友達もそれはどうしていいか分からなかったのだろう。

 


こんなふうに人の反応が変わるから
私も自分が人に好かれるのか嫌われるのか分からなかった。

 


このことがもっと大変だったのは
人が口にする「好き」は必ず「嫌い」に変わると思っているから
人の肯定的な言葉を受け取れない。
いつも「いつかは嫌われる」と思っているから
嫌われないようにビクビクすることが増えてしまったことだ。

 

 

 

エネルギーが切れかけると問題行動を起こすと書いてきたが
エネルギーが完全に切れると抜け殻になる。

 


抜け殻というのは文字通り抜け殻である。

 


なんでも全力でやっているうちに
疲れたとか自分の限界が分からなくて
エネルギーが切れかけていることも気づけない。

 

だから突然シャットダウンするのだ。

 


誰かに話しかけられても

 

話しかけられているのは分かっているのだが
内容は全く分からない。
思考が完全に止まっていて
同時に感情も止まっているから無表情になる。
みんなが笑っているときに一人で憮然とした顔をしている。

 

全く反応ができない。
心も体もびくともしないのだ。

 


これがまた新たな自分のトラウマを作る。

 


完全にオフになった姿は
外からは非常に奇妙に映る。

 

感情を失ってしまった人間は
なんともいえない雰囲気を醸し出すと思う。

 

人間性を失ってしまっている感じがするんだと思う。

 


子どもの言葉はまっすぐで残酷だから

 

「気持ちが悪い」
「変だよ」
「怖い」
「そんなに機嫌悪いならあっちにいって」

 

完全にオフになっている時には
私はこんなふうに言われたのだ。

 


確かに
全く無反応の友達がいたら
楽しく過ごしたい子どもだったら
当然そう言いたくもなるだろう。

 

あぁ申し訳ない。

 

でも私にもどうしようも出来なかった。

 


「私は怖くて気持ち悪くて変」
これも私の強い自己イメージとして
ずっとあったものだ。

 


こんなふうに
エネルギー切れによって
ポンコツになったり無能になったり
問題行動を起こしたりしたせいで

 

私の人格は判断されてきたんだと思う。

 


小さな頃から
よく分からない子どもだとか
急に人が変わったようだとよく言われてきた。

 

今なら分かる。

 


なんでも全力で取り組んでしまうせい
自分の状態に全く気づけないせいで
エネルギーが切れていただけだったのだ。

 

このエネルギー切れの問題は
私の人生全てに大きく影響してきたと思う。