逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

現代の閉塞感は便利で快適な環境によるもの

ここ最近の世の中の閉塞感は

いったいどこから来たんだろう。

 


自分の周りだけじゃなく

日本中、世界的に閉塞感が漂っていて

不安が高まっているような気がする。

 


私は職業柄

世界のシステムをどうにかすれば、この閉塞感が何とかできるとは思えず

ただ一人一人の心の未来を危惧している。

 

 

 


心理学用語で
「アフォーダンス」という用語がある。

 

簡単に説明すると

 

環境側が人間の行動を促進する性質のこと。

 

 


例えば

 

ドアノブを回そうとする

 

イスに座ろうとする

 

水に触れたら気持ちよさそうだと思って触れる

 

芝生では座り、砂利の所では座らない

 

 

 

当たり前のようにやっていることだけど
実は私たちは


環境の用途や機能を読みとって行動している。

 

 

 

 

ドアノブの形を見れば、ドアノブを回してドアを開けたくなる。

 

でもドアノブを知らなければ

そこを回してドアを開けようなんて思えないかも知れない。

 

 

 

椅子を見れば座りたくなる。

 

もし椅子が座るものだと知らなければ

テーブルや飾り台のように座らないかも知れない。

 

 

そういうものだと知っているから、私たちはそう動く。


言い換えれば、環境に動かされていると言える。

 

 

 

 

エーリッヒ・フロム
「自由からの逃走」を読んで

 

まさに現代に起きている問題だと私が感じた一節がある。

 

 

 

p134
「人間はみずからの世界を建設した~
 ~逆に人間の作った世界が人間の主人となった」

 

 

 

 

人間が快適で便利な未来を実現しようと
様々なものを生みだしてきた結果

 

 

結局は

人間が快適で便利なものを自分で選択して使うのではなく

快適で便利なものに合わせて生活をするようになって

 


知らず知らずのうちに選択の自由を奪われてしまった。

 

 

 


「より快適で便利なものを求めるのが当たり前」


そんな考えをみんな持っているように思う。

 

 

 

でも

何のためにそれを求めているんだろう。

 

 

 


体を動かす必要があった作業を

快適で便利なものが代わりにやってくれて楽をした結果

 


運動不足になってエクササイズをする

 

 

時間がかかっていたことを

快適で便利なもので時間を短縮した結果

 


余った時間の暇つぶしに苦労する


時間を使ってより多くのことをこなすのが当然

才能を発揮するのが当然という社会の風潮になり、日々追い立てられている

 

 


本末転倒だ。

 

 

 

快適で便利なことを自分の頭で考えて選択したら

人それぞれ全く違うはずだ。

 

 

 

例えば

 

趣味のスポーツをしたいけどスポーツをすると疲れる

家事を楽にしたいから便利な家電を選ぼう

 

やりたいことが沢山あるから時間が必要
便利なものを使って時間を短縮して、あれに取り組もう

 

とくに今はやりたいことは無い
ゆっくり歩いて景色を楽しもう
手間をかけて掃除や料理をしてみよう

 

日々の生活を大切な人とただ楽しみたい 

ゆっくりと一緒に歩き、ゆっくりと一緒に家事や掃除をしよう

 

 


これが
人間が環境に動かされずに
自由に行動を選んでいる姿ではないだろうか。

 

 

 

何も考えずに
快適で便利な環境を求めているうちに
環境の方に生活を決められて

 

多くの人は自分で環境を選んでいない。

 

 

 

快適で便利な環境が当たり前だから

 

 

余った時間で
過酷な労働をするのが当たり前

 

 

娯楽をするのが当たり前

 

 
便利なコミュニケーションツールがあるから
人とコミュニケーションをとるのが当たり前

 

 

簡単に情報を入手できるツールがあるから
情報を沢山入手するのが当たり前

 


簡単に刺激的な楽しさを与えてくれるツールがあるから
時間をかけたり工夫をしたりして遊ぶことをやめて
より刺激を求めるのが当たり前

 

 

 

本当は当たり前じゃないはず。

 

 

 

本当は家事や雑用をゆっくりやって

娯楽をする時間を作らないこともできる。

 

 

便利なコミュニケーションツールを使わずに

一定の距離をとって

直接、丁寧なコミュニケーションをとってもいい。

 

 

簡単に情報を入手できるツールはあるけど

情報を入れなくてもいい。

時間はかかるけど

深い情報を入手するために本を沢山読んでもいい。

 

 

簡単に刺激的な楽しさを与えてくれるツールはあるけど

じっくりと楽しむ、ほんわかと楽しむ、繊細な楽しみ方

自然に触れたり

芸術に触れたり

絵を描いたり

本を読んだりしたっていい。

 

 

 

本当は便利になる前のものを選んだっていいのに


当たり前だと思いこんでいる環境にどんどん合わせて

みんなと同じことをやろうとして

 

自分自身で考えて選択する自由を無くして

 

なんともいえない不自由な感覚に怒りを覚え

 


人や環境に不満をぶつけている・・・

 

 


私は現代の閉塞感がこんなふうに見える。

 

 

これはこれから
どんどん加速していくんだろう。

 

 

 

だから私は

今では社会に適応できない人の方が
よく考え自由を求めているように感じる。

 

 

環境に洗脳され
思考を停止しなければ社会に適応は難しい。

 

 

 

便利で快適な環境の現代で
思考を停止させずに
はみだしすぎずに、でも自由でいるためには

 

 

当たり前を疑って
周囲と違うことを恐れず
自分で考えて自分で選択していく

 

みんながその力をつけていけば

この閉塞感は無くなるんだと私は思う。

 

 

 

 

 

 

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