逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

執着は完璧主義から生まれる

あなたは今何かに「執着」してますか。

 


私は沢山執着しています。

 

 

執着ってやめたくてもやめられないですよね。

 

自分の意志で
やめられるものではないですよね。

 

 

 

私自身も

今でこそ健康的に執着と付き合えるようになりましたが
執着にはずいぶんと振り回されてきました。

 

今ではだいぶ執着から解放されました。

 

 

 

生産的でもなければ幸せも感じないのに

 

何故、執着なんてしてしまうんでしょうね。

 


私自身と
執着で悩んでいる人達には共通の特徴が見られました。

 


完璧主義です。

 

 


そこで
もしかしたら執着は

完璧主義から来ているのではないかと考えてみました。

 

 

 

人は途中で終わったものが記憶に残るので

続きが気になり、最後までやり遂げたくなるんです。

 

これをツァイガルニク効果といいます。

 

 


そしたらみんなが執着しそうなものですが

完璧主義じゃない人は

 

「こんなものでいいか」

「まぁいっか」

「飽きたから終わり」

「これで精一杯だ」

 

なんて

自分のなかで途中で終わってるものを

終わったと思えてるんですね。

 




完璧主義の人はそれとは真逆で

 

 

ひと段落しても

やりきったものでも

もう終わったものでも

 

自分が満足できるまで手を加え続けたり
何度でも挑戦しつづけたりする傾向があります。

 

 

これが活かされることも沢山あります。

 

 

後から足すことが可能なものや
やり直すことが可能なもの

 

たとえば
絵や文章などの創作、何かの企画・構成、研究などは

 

根気強くやりつづけることで
大きな結果を残せますね。

 

 

 

でも一方で
この特徴が「執着」に繋がってしまいます。

 

 

 

ちょっと考えてみましょう。

 


人に対して、つい嫌な言動をとってしまった時
人が見ている前で何かミスをしてしまった時

 


完璧主義を生かして

 

後から足そうとしたり
やり直そうとしたりするとどうなるでしょうか。

 

 

 

その場面は流れていってしまっているし
その場にいる人に目撃されているので
無かったことにしてリセット出来ません。

 


でもどうにかして完璧に近づけたい。

 


だから

 

「そんなつもりはなかった」
「ちゃんと熟慮していた」

 

なんて
そこに居た人に言い訳をしたり

 

 

 

「このぐらいの失敗は大したことない」
「あなたもあの時やったよね」
「みんなやってる」

 

そんな言葉でミスを小さく見せる工夫をしたり

 


「おごるからいいじゃん」
「ここをこうすれば大丈夫」
「私が全部責任を負ってなんとかします」

 

フォローをして無かったことにしようとする。

 

 

 

とても不誠実な人になってしまいますね。

 


ただ完璧主義で
失敗をやりなおそうとしてるだけなんですが

 


そのせいで

 

一度きちんと現状を受け止める

失敗によって迷惑がかかった人の気持ちを考える

 


こういう当たり前のことが出来なくなってしまうんですね。

 

 

 

失敗をした場面に他の人がいた時

 

失敗をやりなおしたり無かったことにしたりして

完璧にしなおそうとしても

 

絶対に無理なことなんですね。

 

 

 

 


これだけではありません。

 


完璧主義の人は

 

自分の後悔の残る記憶にも執着して

 

後から足そうとしたり
やり直そうとしたりしてしまいます。

 

 

 

先ほど言ったように

 

その場面は流れていってしまっているし
その場にいる人に目撃されているので
無かったことにしてリセット出来ませんよね。

 

 

 

それなのに

 

過去の記憶を完璧にするということは
どうすると思いますか。

 


さっき
人に対して行ったのと同じようなことをするんです。

 

 

 

過去の思い出したくない記憶を

 

忘れようとしたり
自分の都合の良いように塗り替えたり
後付けをして帳尻を合わせたりするんです。

 


当然
自分に対して不誠実になりますよね。

 

 

 


まだあります。

 

人に執着してしまうこと。

 

これがみなさんの一番の悩みでしょうか。

 


人に嫌われてしまう
人と上手くいかない

 

これは完璧主義の人にとっては耐えられないことですよね。

 


人と何事もなく
ずっと仲良くすることを完璧だと捉えているから

 
何かある度に修復を試みたり

必死につなぎ止めようとしてしまうんですね。

 


だから
完璧主義の人は

 

完璧な人間として好かれよう
相手の希望を完璧に叶えようとしても
相手の気持ちが離れていくときに

 

「もっと完璧な人間に」
「もっと完璧に相手の希望を叶えないと」
なんて執着してしまうんですね。

 

 

 

ちょっと考えてみましょう。

 

この完璧の捉え方が間違っていませんか。

 


そもそも
完璧な人間だろうが
相手の希望を完璧に叶えようが

 

実は
人の気持ちなんてどう動くか分からないものです。

 


完璧というのは
今の自分なりに良い行いをし続けようと努力することであって

 

人の気持ちをつなぎ止めることは
完璧を目指して執着をしても無理です。

 

 

 


このように

 

物理的に完成しないものを完成させようとして
執着をしてしまうんですね。

 


人生で

本当に完成していないものを完成させようとしたいなら

 

起きてしまったことを全て認めて
次に活かすということしかないのではないでしょうか。

 

 

 

完璧主義の人は

 

無かったことにできない

やり直すことができないものを何とかしようとするのではなく

 

次に生かす形で完璧を目指してやっていくことで

執着から抜け出せるはずです。

 

 

 

 

 

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