逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

人を愛する方法、愛される方法

「人を愛したい」「人に愛されたい」

 

これは本当に人類共通の願いですよね。

 

 

人間不信の人も、人間嫌いに見える人も、人に関心がない人も、孤独も必要としている人も…

 

実は人を愛したいし、人に愛されたいという欲求はあるんだなぁいうのが、沢山の人の話を聞いてきてわかったことです。

 

 

しかしこの欲求があるから私もあなたも苦しいんでしょうね…

 


「人なんてどうでもいい」
「人と関わりなんて持ちたくない」
「愛されたいなんて思っていない」

 

そんなふうに言っている人だって、本当はこころの奥底には人を愛したい人から愛されたい欲求があるはずですよ〜ほらほら。

 

人を愛するには、人に愛されるにはどうしたらいいんでしょうね。

 

 
人を愛したいと言って悩む人は大抵こう言います。

 

「自分より人を大事にできない」
「大事な気持ちを持ち続けられない」

 

好きだと思っても自分ほど大事にできない

気分によって変わったり、他に目移りしてしまう

 
こんなふうに悩んでいるようです。

 

 

いやこれはですね…


若い頃は心が子どもだから誰でも思うことですよ〜!

大人でも心が育ってない人は心が子どもなのでこうなっちゃうんですよ〜

 

 

心が子どもだとなぜ愛せないのか…?
 

「人は与えれば与えるほど、そのものが大事になる」から。

 

 


思い出してみてください。

 


小さい頃、若い頃…最近のことでもいいんですけど

沢山の気力や体力や情熱を注いで時間を費やしたことは何かありませんか?

 

そんなことって強い思い入れがありますよね。

 

忘れられない、諦められない、執着してしまう…こんな気持ちがあったはずです。

 

何に対してもドライで強い思いを持てないと悩んでいる人は、ただ単に気力や体力や時間や情熱を注いでいないだけなんですね。

 

だから、何となく目の前にある事をこなしている、言われたことをやる、器用で能力が高くて適当でも人より出来てしまった…なんて人は強い思いは持てないですよね。

 

  

愛することも同様です。

 

猫や犬にご飯をあげて、ブラッシングをしてあげたり遊びにつきあってあげる。
かまってと寄ってきたら、一日中優しく声をかけてあげる。

疲れていても、自分がやりたいことがあっても、自分のことは後回しにして世話をする。

 

自分を置いて愛情を注ぐ…


だからすごく大事になるんですね。

 

 

ペットとの付き合い方は人それぞれですから、良い悪いは別として

 

ペットをそれほど大事に思えない人は、最低限の世話だけしているからなんですね。

 

 

 

人を愛したければ

 


頻繁にその人のことを気にかける

(自分が興味関心のあることだけでなく、その人の全体を気にかける)


その人が困っていたら面倒でも難しくても必死に出来ることをやる


その人がつらい時には自分の気持ちを置いてでも気持ちに寄りそう


多くの時間を一緒に共有して、自分の時間をその人につかう

 

こうやって自分の気力体力、情熱を費やして時間を費やしてきたから、自然と相手を大事に思えるようになるんです。

 

  

「これをやったら愛してくれるだろう」

「気が向かないと関わりたくない」

「自分のことを気にかけていてほしい」

「暇だからやってやろう」

 

 

どこかにこんな気持ちがあると、外から見て与えているようでも本当は自分の持てるものを費やしていないので

 

いつまでたっても人を愛することができないんですね。

 

 

さっきの話に戻りますね。

 

若い頃は、当たり前ですが余裕がなくて自分のことばかりになりがちです。

自分に集中する時期ですもんね。

 

だから「与えれば与えるほど大事になる」のに与える機会があまり無いですから

 

「自分より人を大事にできない」
「大事な気持ちを持ち続けられない」のも当然です。

 


人を愛することが出来ないのはそういう性格なのではなくて

 

「人に与えているように見えて実は求めていて与えていない」


あるいは

実際には与えていても「自分の労力や時間を費やしている感覚が持てていない」だけです。

 


人に労力や時間を費やして、ちゃんとそれを実感できれば人を愛することが出来るようになるんです。

 

 

 

逆に人に愛されたいと言って悩む人は

 

「自分は愛される人間じゃない」
「性格が悪いから」
「魅力や能力がなど何も持っていないから」

 

と言います。

 

 


愛されたいから

 

人に気を遣いすぎたり
人の期待に応えたり
魅力をつけよう能力を高めようと必死に努力をしたりしているのに

 

なぜか愛されない。

 

 

これも先ほどと同じ理由ですよー

 

「人は与えれば与えるほど、そのものが大事になる」ということは…?

 


「与えてもらえば与えてもらうほど大事にされる」わけです!

 

 


人に対して

 

困っている時やつらい時につらいと言える、そして気にかけてもらう


お願いをして助けてもらう


気にかけてもらったり助けてもらったりしたら
申し訳ないと卑屈になるのではなく、感謝の気持ちを表す

 

 


そうやって


人に労力を費やしてもらい時間を費やしてもらうと自然と相手に大事に思われるようになるんですね。

 

 

 

でも
罪悪感を煽って助けを引き出したり

当たり前のように頼りすぎて迷惑をかけすぎたり

感謝の気持ちを持てなければ

 

相手は与えている気持ちにはなれないので愛されません。

 

 


人に愛されないのはそういう性格だとか魅力や能力がないからではなくて

 


「人に与えさせない」


あるいは実際には与えられていても


「人に強いたり当たり前のことにしたりして自分が心から与えていると思わせない」

 

こんな理由なんです。

 

 


人に労力や時間を費やしてもらってちゃんと感謝ができれば

 

人に愛されるようになるんです。

 

 

人を愛せないのも愛されないのも理由がある。

これから変えていけますからねー 

 

 

 

 

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