逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

どんな状況の人も幸福感は高められる

私のような恵まれない生い立ちの人と

恵まれた環境で生まれ育った人

 

より幸福感が得られやすいのは
どちらでしょうか。

 


ほとんどの人が後者の方だと思うのではないでしょうか。

 


ところが違うんです。

 


「幸福感」においては

 

スタートラインが低ければ低いほど
より幸福感を感じられるんです。

 


幸福感とは
人から幸せに見えるかどうかではなく
自分が幸せだと感じるものです。
<幸福感とは>

 


短期的な幸福感や
他の人から幸せに見えるかどうかを求めていれば

 

今苦しい状況ではなく豊かな状況
人から羨ましいと思われる状況である必要があるので

 

恵まれた環境で生まれ育った人の方が幸せです。

 

 


でも

長い目で見た幸福感においてはどうでしょうか。

 

 


人間は幸せに慣れてしまう生き物です。

 

 

幸福な状態が同じように維持されても


初めて手に入れたときのような感動や幸福感は維持されません。

幸せな状況が当たり前になってしまうんです。

 

 


恵まれた環境で生まれ育った人は


ずっとその環境なわけですから
その恵まれた状況に幸せを感じることは難しくなります。

 

 

 

こうなると大変で

 

同じような幸福感を維持するためには

ずっと同じレベルでは無理です。

 

そのために
常にもっともっとと求めるようになり
欲求は際限が無くなります。

 

より豊かな状況をつくりだすのは至難の業です。

 

 


だから

 

自分より豊かではない他者の評価に依存しながら
自分の幸せを確認するようになる。

 

「自分は人より豊かだ」
「人は自分よりみじめだ」
「だから自分は幸せなんだ」

 
常に人と比較せずにはいられなくなり

 

下の人間を見下し
上の人間には劣等感をもち妬む。

 


どうでしょうか。
これって苦しいですね。

 

 

 

幸福感をもたらすものの一つに
自己成長があります。

 

何かを成し遂げる経験

 

自分が進んでいるという感覚

 

どれだけ成し遂げたか進んだかという積み重ねの確認は

 

人間に自信や満足感をもたらします。

 


つまり幸福感は

 

スタートラインから

「どれだけ」「自分の足で進んでこれたか」が大事なんですね。

 

 


最初の話に戻ります。

 

 

 

私のような生い立ちの人と

 

恵まれた環境で生まれ育った人

 

より幸福感が得られやすいのはどちらでしょうか。

 

 


もう前者だと理解してもらえましたよね。

 


スタートラインが低いので伸びしろが大きい

人からの助けが少ないから自分の足で進む量は多くなる

 

幸福感は大きいんです。

 

 


ただ
スタートラインがあまりに過酷で
なかなか進めないこともあります。

 

そして
幸福感ではなく
他者から見た幸福にとらわれてしまうと
前者はとたんに不幸になってしまいます。

 


幸福感においては

 


スタートラインから
「どれだけ」「自分の足で進んでこれたか」が重要。

 


現在恵まれている人が
不平不満を持ってはいけないわけではないし

 

現在どん底の人が
人並みにならなければ報われないわけではない。

 


とにかく
人の手を借りてもいいから

自分の足で少しでも前に進むこと。

 


これが幸福感を高める方法です。