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逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

愛があっても人の理解は難しい

ひとりごと

カウンセリング中に
クライエントさんが
揃って言う言葉がいくつかある。

 


そう考えると

 

私は一貫してるんだな
同じクオリティで仕事ができているんだな
と嬉しく思う。

 

 

よく言われる言葉のひとつに

 

「自分をここまで理解されたことは無かった」
というものがある。

 


カウンセリングでは
クライエントさんが無意識に
カウンセラーを喜ばせようとすることは
よくあることです。

 


だけど
みなさんここで
泣き崩れるかグッと涙ぐまれる。

 


とても
リップサービスには見えません。

 


こんなとき

以前の私は
嬉しいと言うより
複雑な気持ちになったんです。

 


ものすごい驚きと
疑問と
落胆まじりの悲しみかな。

 

 

 

みなさんは
私と違って
大切な家族がいる。

 

友人だって多い。

 

きちんと教育を受けて
尊敬する人に出会ってきているはずです。

 


なのに
自分を理解されなかった。

 

嫌みではなく
本当に何故なのか分からなかった。

 

 

 

このようなケースを経て考えたことは

 

大事な人に大事にされていても
人間関係は量的に豊かであっても
恵まれた環境であっても

 

自分を理解されてきたかどうかは
別のことだということです。

 


感情的に考えれば

 

愛していれば理解できるだろう

 

大事に思うなら理解できるだろう

 

有能なら理解できるだろう

 

そんな風に考えてしまいます。

 


しかし
冷静に考えると


人を理解するためには
こんなこととは別の必要なことが沢山ある。

 

 

 

人を理解するためには

 


その対象の人物が「分からない」
という認識が必要。

 

自分のことを一旦おいて
対象の人物について考える余裕が必要。

 

その対象の人物と
同程度の経験を必要とする。

 

 

 

親が子に抱きやすい思いは
「私と子どもは一心同体」
「子どものことは私が一番分かっている」

 


友人が抱きやすい思いは
「理解できているから親しくできている」
「自分の理解を超えるはずがない」

 


教育をする側が抱きやすい思いは
「教える側はすべて分かっている」
「相手の理解より自分の有能さを示すことが大事」

 


こうなると
人を理解するなんて出来るわけがないんです。

 


人を理解するためには
かなりの苦労を要します。

 

だから
愛情が無ければなかなか難しい。

 


だからといって
自分を理解してくれないのは
愛情が無い
大事にしていないわけではない。

 


愛情、大事にする気持ちプラス
必要なものが沢山ある。

 

愛だけじゃ
人を理解することは難しいんです。

 


私のこと全然分かってくれない
愛してないのね!
大事じゃないのね!

 

なんて思わないでください。

 


そういうあなたは

 

愛している人を
大事にしている人を

 

理解できていますか?

 

きっと

大事な気持ちは疑いようもないけど

理解は難しいはずです。

 

それでいいんです。

理解したいという気持ちさえ無くさなければ。