逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

心の闇(重たい話)

自分の心の闇をのぞいたことがありますか。

 

私はあります。

 

すべてを見たとは言えないけれど
自分ほど
人間の心の闇を
知っている人間はいないのではないかと思っている。

 

なんの根拠があって。
おまえは陽気だろう。
心の闇を知っている人間は
こんなブログ全体のような浅い文章は書かない。

 

そんな声が聞こえてきそうです。

 


そうですね。

 

ものすごい心の闇を知っている人は
どこが影がありますよね。
文章にも繊細さやニヒルな思想が出ていたりしますよね。

 

でも私は
とても言語化できるようなレベルではなかった。
それに
とことん闇を見続けているなら
いつか終わりがくるはずだと思っている。
完全に終わらせるか、諦めて悟るか。

 

そして今
私は生きているわけだから
諦めたわけです。

 


自分の中の
汚さやいやらしさ
傲慢さやずるさ
狂気
とことん見てきた。

 

そして
自分なんてそんなもんだ。
人間なんてそんなもんだ。
そう悟った。

 

だから
いつも自省して
律するよう努力して
品を保とうとしている。

 

自分はそうしないと
どうしようもないから。

 


心の闇の大きさは

 

もともとの繊細さと
追いつめられている程度と
その期間によって決まると思う。

 


私はADHD、ギフテッドであり
非常に繊細だった。

 

養護施設で過ごし
里子に出され
虐待され
逃げ
天涯孤独になった。

 

その後も
劣悪な環境と
稚拙な対人スキルにより
裏切りやひどい目に遭いつづけた。
助けも得られなかった。

 

だから私は
とてつもない
心の闇を抱えていた。

 


そして
心の闇を見ること。

 

みんなのぞいてみることはある。

 

でも恐怖から蓋をしたり
日常の忙しさに邪魔されたり
家族との関わりで中断されたりして

 

多くの場合
闇を見ることをやり遂げることはできない。

 


だけど私は

 

怖さより異常な好奇心が勝ってしまい
やめられなかった。

 


暇はいくらでもあり
人に邪魔されることもなく
起きているあいだ何時間でも何日でも
考え続けることが出来てしまった。

 

日中
部屋の端で膝を抱えて考えているうちに
いつのまにか真っ暗になっていることがよくあった。

 


本のような外的な刺激もなく
自分の内的な刺激だけで
何時間かが一瞬に感じるほど
集中して思考したことがあるだろうか。

 

そしてその思考は
情報を処理したり
具体的な案を練ったり
未来図を描くような
建設的な物やポジティブなものは一切無く

 

思考はすべて
人や社会への憎悪しかない。

 

自分がどんなに努力しても
現状は劣悪なままで
このさき
この状態がどこまでも続く感覚。

 

そうして仕上がった心の闇は
とても表現できる物ではない。

 

一つ言えることは
狂気を知っているということ。

 


なぜこんなことを書いたかというと

 

これまでのクライエントさんは

 

自分の抱えている闇の大きさに
恐怖し、恥じ、見て見ぬ振りをし
そのせいで不安が大きくなって
心を病んでいることが多かった。

 

カウンセリングでも
こんな事をいったら引かれる、驚かれる
おかしい人間だと思われる
と思って躊躇しているようだった。

 

そして私も
本人の自己申告
というより
本人が体現している闇を抱えている人間像に
最初はおののいた。

 

しかし
最終的に
その闇は私の闇を超えることどころか
近づくこともなかった。
安堵と寂しさを感じた。

 


私が分かったこと
みなさんに言いたいことは

 

あなたのこころの闇はまだまだ綺麗ですよ
ということ。

 

自分の心の闇を見られない大人や
カウンセラーなどに
恐れられてきたその闇は
そんなに大したことはない。

 

あなたがイメージしているほど
汚く狂っているものじゃない。

 

人間はそんなものだ。
そういいたい。

 

安心してほしい。