逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

恩を着せずに優しさを生かす

恩着せがましい人
いますね。

 

自分でも分かっているけど
恩を着せたくなる人
いますよね。

 

さらっと親切にして
かっこよく颯爽と去りたいものですね。

 


この
恩着せ癖
<見返りは求めず自分で作り上げる>
にも書きましたが

 

とにかく
意識的にも無意識的にも
分かりやすい見返りを求めていると
恩着せ癖は

どうやったって出てしまいます。

 

まずは
分かりやすい見返りを求める自分に
気づきましょう。

 


しかし
これだけでは解決しません。

 

まだ問題があります。

 

それは
感情の問題です。

 


人に親切にしたとき
その瞬間だけを捉えると

 

親切にして
自分は
大変だった
頑張った

 

と自分のことばかりに
なってしまいます。

 

これは
感情がわき上がっているからです。

 


冷静でいることで
前後関係を把握したり
客観的に見たり
広く物事をとらえられるのです。

 

ということは
感情的になりやすい人は
つねにその瞬間を
切り取って捉えているということです。

 


なので
ADHD傾向のある人は
その瞬間だけを捉えて
さまざまなことを判断しています。

 


これはただ
悪いことだけでもありません。

 

感情的になって瞬間を切り取る
ということは
目の前のことに集中できる
とも言えます。

 

ただ
自分が親切にした瞬間も
そんなふうに捉えてしまったら
どうなるでしょうか?

 

 

喜んで欲しかったのに
喜んでくれなかった。

 

これだけのことをしたのに
感謝が足りない。

 

自分ばかり相手に与えている。

 


こんなふうに
考えてしまうことは
誰にでもあると思います。

 


でも
その瞬間だけでなく
前後関係も考え
広い視点から客観的に捉えると

 


喜んでほしかったけど
この人は望んでいなかったことを
自分がしたかっただけだ。

 

喜んでほしかったけど
お節介だったかもしれない。

 

これだけのことをしたけど
自分が無理をしすぎただけかもしれない。

 

これだけのことをしたけど
感謝がほしいけど
相手は心の中で秘めているのかもしれない。

 

自分ばかり
与えていると思っていたけど
これまでに散々与えられてきたこと
迷惑をかけてきたことを
忘れていた。

 


こんなふうなことに
気づけるはずです。

 


感情的になるから
親切にした瞬間を切り取る

 

親切にした瞬間を切り取るから
自分ばかり与えていると思う。

 

自分ばかり与えていると思うから
感謝を求める。

 

だから
恩着せがましくなる。

 

こういうことです。

 


恩着せがましいことを
批判したいんじゃありません。

 

恩着せがましいことは
単純に損です。

 

せっかく
人のために
優しい気持ちでしたことが

 

人を嫌な気持ちにさせて
自分も嫌われてしまうんですから。

 

せっかくの優しさを
生かしていきましょう。