逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

お坊さんもカウンセラーも偉くない


私はいつでも苦しんでいたいという思いがあります。

 


基本的にポジティブな方だと思います。

 

楽しいことは全力で楽しんで

嬉しいことは全力で喜びたいと思っています。

 

でも

ずっと楽をしていたくないんです。

 

 

自分がいつも安全地帯にいたとしたら

カウンセラーとして全力で役に立てない

そう思うからです。

 



私が違和感をもつのは

 

出家した人が
社会の荒波にもまれている人に
説教をすること。

 


仏教の教え
人間について
説くなら分かります。
 

でも最近は
リアルなお悩み相談に乗っている場面をよく見かけます。

 


それは違うと思うんじゃないかと思うんです。

 

 


対人関係に悩んで
仕事を猛烈にしてうつ状態になって
悩みが沢山あって頭が混乱している人は

 

お坊さんより未熟だからそうなっているんでしょうか。

 

 

私はそうは思いません。

 

出家した人と
全く同じ環境に同じ期間居たら

 

誰だって
穏やかになって、思考はクリアになって

色んなことを俯瞰して見られるようになります。

 



でも

みんな色々な事情を抱えていて

出家するわけにいかない。

 

だから
今置かれた環境で
どうやって上手くやっていくか頑張っているんですよね。

 

安全地帯にいて余裕がある人が

大変な環境で頑張っている人に
こうしなさい、ああしなさいって言うのは…どうしてなんでしょうか。

 

 

じゃあ

あなたはその相談者と全く状況に置かれた時

自分が言ったことができるんですか?と思うんです。

 

 


カウンセラーもそうです。

 

 

自分の仕事の人間関係は


カウンセラー、クライエント関係で
権威のある態度をとって
批判されづらい、上の立場にいて
守られている状況。

 

それで
仕事上の人間関係のなんたるやを語る。

 

自分がクライエントと同じ
大変な人間関係に置かれた時
自分が言ったことができるんでしょうか。

 

クライエントと同じくらいの

厳しい経験をしたことがあるんでしょうか。

 

経験はなくとも

せめてその経験をしている人の気持ちを想像をして

心を痛め続けたことがあるんでしょうか。

 

 


お坊さんもカウンセラーも


社会で毎日複雑で理不尽な人間関係を頑張っている人の
大変さなんて分かるわけがない。

 

社会で自由がない人の大変さが分かるわけがない。

 

そんなふうに思うんです。

 

 


だから私は

その人の状況を存分に知って

それを味わって一緒に苦しみたいと思うんです。

 

 

自分も

いつも人間関係に思い悩んでいたいと思うんです。


クライエントさんとも

批判を恐れず、嫌われることを恐れず、ぶつかることを恐れず

対等な人間として話をしたい。

 

 

私はカウンセリングしかできません。


それだけです。

 

 

社会で頑張っている人
育児を頑張っている人などみたいに
すごい経験を持っていません。

 

 

そういう経験がある人たちは
尊敬する人たちです。

 

 

お坊さんは仏教の専門家
カウンセラーはカウンセリングの専門家


決して
人生の専門家ではありませんよね。

 

お坊さんもカウンセラーも偉くない

自分が同じ様に穏やかに出来ないのは劣っているわけではない

 

私はこれをみんなに理解してほしいと思っています。