逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

大人のADHD②ー沢山話すー

私が
大人になって
ADHDの症状は変化したかというと

 

やはり
そんなに変わっていないと思います。

 

一番ひどかったのは
小学校低学年で
そこからしばらく鬱状態
高校生、大学生と衝動が悪化して
30歳ぐらいで少し落ち着きました。

 

これは
単純にエネルギーが減ったんでしょうね。

 

あとは
エネルギーの向ける場所を分散させる。
自分なりの対策を練る。
ということで
うまくADHDとつきあっているので
目立たなくなっているだけでしょうね。

 

大人になると
多動が多弁に変化すると言われています。

 

私はまさにそうでした。
小さい頃から多弁でしたが
その比ではありません。

 

年を重ねて
リーダーシップは増していき
話術を身につけ
人を引きつける雰囲気を身につけ
人の役に立つ情報を持っている。

 

すると
いつでも
人が
私の話を聞こう
私の話を聞きたい
と集まってくるので

 

一日中ずっと喋っていられました。

 

大げさではなく
友人との遊びはカフェで数時間話す
家で何時間も話す
街を歩きながら話す

とにかく話す。

 

仕事は
30歳までホステスで話す話す。
そこからカウンセラーで話す。

 

とにかく人生のほとんどを
話していました(笑)

 

私の多動はそれで解消されていたようです。

 

また
ADHDのやりきれなさ
被虐待児のやりきれなさが
自分の話を興味を持って沢山聞いてもらうことで
解消されていったのです。

 

私が
精神科にかからず
カウンセラーに話を聞いてもらうこともなく
誰の助けも得られず
これだけ回復をしたのは
とにかく沢山話を人に聞いてもらってきたこと
が大きいと思っています。

 

でも
聞いてもらうといっても
カウンセリングのように
自分の感情を吐き出したり
自分のつらい経験を
そのまま聞いてもらうのではなく

 

聞いてもらえる程度の話に変えたり
面白おかしく変えて話していました。

 


それが
今となっては
よかったと思っています。

 

自分の感情を
コントロールする練習にもなりましたし
自分が可哀想なのではなく頑張ってきた
と思うことにつながりました。

 

この経験から
自分のつらさを吐き出すことも大事ですが
自分のつらさを淡々と話してみる
自分のつらさを笑ってみる
ことも大事であると分かったのです。

 


話がずれてしまいました。

 


自分の話を興味をもって聞いてもらえる
ということは
かなり重要なことです。

 

ADHDの人は沢山たまっているものがあるし
元々は多弁なはずなので
話せる場所で沢山話してほしいです。

 


ところで
多弁での悩みもあります。

 

夢中で話すと
スピードが速くなり過ぎて
相手が内容を把握しづらくなる。
情報量が多すぎて相手が疲労する。

 

他にも
客観的に見て
ある程度落ち着いた風貌の女性が
ものすごくパワフルにまくし立てて話していたり
女子高生のようにベラベラ話している姿・・・って
奇妙なんですよね。

 

よくギョッとして見られるので
人目があるときは
抑えるように気をつけています(笑)