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逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

ギフテッド⑭

秀才とギフテッドは
一般の人には見分けがつかないと言われています。

 

確かに
成績優秀なギフテッドと
IQが高い上に
努力をする能力も兼ね備えた秀才は
似通って見えるのかもしれません。

 

しかし
当事者の私からすると
大きな違いを感じるのです。

 

 

秀才は、与えられたものをそのまま完璧に吸収する。
ギフテッドは、与えられたものに疑問を持ち
もっと広く深く知ろうとする

 

秀才は、ある程度のところに登り詰めたら満足する。
ギフテッドは、どの程度でも満足することはない。

 

秀才は、外的な評価に強い満足感を持つ。
ギフテッドは、どんなに外的に高い評価を得ても
自分で評価に値すると思わないと満足できない。

 

秀才は、高い能力を自分や自分の周りの人のために使おうとする。
ギフテッドは、高い能力を社会貢献に使おうとする。

 

秀才は、自己肯定感が高い。
ギフテッドは、自己の批判を続けるので自己肯定感は高くはない。

 


このように
明らかな違いが見られるのです。

 

ギフテッドが
精神が病みやすいと言われているのは
このような特徴のせいだと思うんです。

 


与えられた物を深く追求するがために
量的に不利になったり、時間を要するため
無能に見られます。

 

自分は高い質を確保していると実感していても
それは理解されないため辛いのです。

 


努力をして成し遂げても
常に目の前に壁が現れるため
安息がありません。

 

成し遂げるために緊張をしてきて
それが叶った瞬間だけ、緩和します。
でももう次の瞬間には緊張が始まります。
人生は緊張の連続なんです。

 


社会的な地位や名誉をもらっても
自分が満足するまでに至っていないと
それに相応しいと思えないため
強い自信が持てない。

 

いくら人に誉められても
自分が満足できなければ自信が持てない。
その姿が人には嫌みに見えてしまいます。
この苦しさが理解されないのです。

 

自分の能力を社会貢献に使おうとするため
終わりが見えない。

 

自分や周囲の幸せのために
自分の能力を使うことが目的であれば
達成感や満足感が得られることがあります。
でも社会貢献になると、達成すること、満足することが
あるわけがありません。
ずっと無力感、不全感を持ち続けることになるのです。


このように
ギフテッドは苦しみばかりで
それが理解されることはありません。
本当に苦しいんです。

 

そのため
どんなに友人が増え
支持を得ても
ギフテッドと出会えない限り
孤独を感じなくなることはないのです。

 

ギフテッドは
日本では診断されません。

 

自称ギフテッドは
自分を頭がいいと思いたいだけだろう
そう取られがちです。

 

でも
これだけの苦しみがあるんです。
ギフテッドと名乗ることの
恩恵なんてありません。

 

ただこのような私たちは
自分を知ることで対処をしていかないと
精神的に健康でいることは難しいので
そのための名称として使っているだけです。

 

それを理解していただけたら
嬉しいです。

 

そして
自分がギフテッドじゃないか?
と思う方
人からの批判を恐れて違うと思っていませんか?

 

それなら

誰にも言わないでもいいんです。
ただ
これまでの記事のような傾向があったら
ギフテッドを調べて自分を振り返ってみてください。

 

きっと
楽になるはずです。

 

ギフテッドが自覚をして
立ち上がり
自分の力を伸ばしていけたら
どれだけの力が集まるだろう。
そんなふうに
私は期待しています。