逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ASD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

ギフテッド⑥-先を見据える力がある-

ギフテッドは
先の先まで見通して考えることが得意です。

 


私は自分がつねに先を見通して考えていること

人と比較して、特別に先のことを考えるのが得意なことに気づいていませんでした。

 

 

ただ良く言われたのは

 

「そんな先のこと言われても想像つかない」

「そんな先のことまで考えてたの?」

 

 

こんな言葉で

目の前のことを考えるためには先のことがセットになって浮かぶ私には

人が先のことを考えない理由がわからなかったんですね。

 

 

 

 

多くの人は相談をされると

 

自分の経験からのみ

聞いたことのある話からのみ

楽観しすぎる、悲観しすぎる…

 

そうやって返答してるように私には見えます。

 

 

 

私も自分の経験から話すことや

楽観だけで話すこともありますが

 

 

自分の経験であり相手には当てはまるかわからない

 

悲観することも起こる可能性がある、楽観させる責任は自分にある

でもその人には楽観して力を発揮してほしい

 

 

こうして

自分が与える影響やその後のその人の広い可能性を考えた上で

そうすることを選んでるんです。

 

 

 

 

私が新たに取り組むことを誰かに相談すると

 

「マイナス思考すぎる」

「考えすぎだ」

「大丈夫だって」

 

といつも言われてきました。

 

 

まず最初は、起こりうるリスクを事細かに全部考えて
それを不安だと話すからだと思います。

 

 


リスクを考えないこと、起きたときの対策を講じておかないことも

私には理解できませんでした。

 

 

何が起きても何とかするという覚悟や強さがある人は、尊敬しています。

 

 

でも私に

マイナス思考だとか、考えすぎだとか言ってくる人は

いざ本当に困ったことが起きると

一番うろたえ、人のせいにしたりするんですね。

 

 

 

 

一方で私が散々悩んで

 

色んな対策を考えて、自分の気持ちも整理して
やっと覚悟を決めて大きな挑戦をする時は

 


「そんな甘いもんじゃない」
「お気楽すぎる」
「ちゃんと考えてる?」


今度はこう言われます。

 

 

 

長い時間かけて悩んで

成功の確率も高いと踏んで、失敗しても受け入れると覚悟を決めて

 

自分を信じて勇気を出して「絶対に大丈夫」と言えるようになったのに

 

 

私は簡単に言っていて何も考えていないように決めつけられるんですね。

 

 

 

私にこう言ってくる人の話をよく聞いてみると

ちゃんと考えているのではなく
ただ目の前のリスクを回避することしか考えていないようでした。

 

 

どれだけ長い時間

色んな角度から考えて、悩んで苦しんで

そこから受け入れて、強い気持ちを持つに至ったか
きっと分からないんですね。

 

 

こうやって、どちらにしても否定されてきました。

 

 

 

私は自分がギフテッドだと分かっていなかったし
自分を普通の人より馬鹿だと思っていて
自分がちゃんと考えているんだと自信を持てなかったので

 

やっぱり人の言葉を全部受け止めて、自分を責めてきました。

 

 

 

自分はネガティブな暗い人間なんだ
自分は何も考えないお気楽な人間なんだ

 

そう自分を否定することしかできませんでした。

 

 

でも本当は

私以外の人の方が全く深く広く考えられていなかったんです。

 

 

 


先の話をするといつも

 

「そんな先のことを考えてもしかたない」

「そんな先のことなんて考えられない」と言われてきました。

 


10年、20年後はギフテッドにとってはすぐ先のことです。

 

 

そこを全く考えないで
突き進んでいくことのほうが私には信じられません。

  

先を考えないで未来を明るくしたいなんて
ギャンブルだと感じるんです。

 

 

 

これに通じるのかもしれませんが

 

ギフテッドは死に対する興味が早いんです。

 

 

希死念慮とはまた違う話で

 

全てのことに対して年齢より理解が早いので

 

必ず最初にぶつかる身近な正体の見えないものである

「死」に漠然とした恐怖を抱くのではないでしょうか。

 

 

 

私は小学校に上がる前に

死を思っては号泣するということをよくしていました。

 

 

 

全てが一瞬にして無になる

 

もうそこから再開することは永遠にできない


私が断たれて消えて

そこからの永遠が自分には想像もつかないくらいどこまでも続いていく…

 


こんなことばかり考えていました。

無になった後のあとの永遠が私は何よりも怖かったんです。

 

 

 

最初は馬鹿にしながら笑っていた里親も
あまりにしつこいので本気で叱られました。

 

それからしばらく考えるのを止めた経緯があります。

 

 

でも
それからもつねに頭には死があるんです。

 

 

 

ギフテッドは世の中の真理を知りたくて仕方がないんです。

 

世の中には分からないことが沢山あります。

 


だいたいは
今の時点でこのぐらい研究で明らかになっているという情報がある。

 

なのに
死ぬとどうなるかについては何も明らかになっていない。

 


それに


正しい・間違っているとか
お金とか
地位とか名誉とか
罪とか
幸せとか
時代や場所、人によって変わる物が多くて
絶対的な物なんて無いのに

 

人間は生きられるのはテロメアが尽きる120歳程度まで
人間は100パーセント死ぬ

死だけは絶対的な真理なんですよね。

 

 

だからギフテッドは死について考えやすいのではないでしょうか。

 

 

 

多くの人は死についてなんて考えたくないですよね。

 
自分の死について考えることは
不安だし苦しいことですもんね。

 

 

だから
みんな見ない振りするんですね。
まるでいつまでも今が続くかのように。

 

だからギフテッドのように

一生懸命生きらないんだと思うんです。

 

 

近い方を亡くす
ご病気で命の危険を感じたという辛い経験がある方は
死について考えたからこそ懸命に生きているように見えます。

  

 

私はつねに


あと何年しかない
あと何年でどれくらい役に立てるだろう
こんなふうに逆算しながら生きてきました。

 

 

私は30歳の時には
老後の本や終活の本を読んでいました。


よく変な目で見られてきました。

 

でも10年ってあっという間です。
それが5.6回と思うとやっぱりあっという間だと思うんです。

 

 

 

ギフテッドが一生懸命生きることをやめられないのは

先のことを考えて

死がつねに頭にあるからなんでしょうね。