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逆境から立ち上がった臨床心理士

―ADHD・ギフテッド・養護施設出身の被虐待児―

虐待⑭

私にとって人生のターニングポイントがやってきます。

 

これが無ければ
私はどうなっていたか分かりません。

 

大学進学です。

 

勉強を禁止され
ADHDで集中して授業を聞くこともできず
平均して成績はよくありません。

 

しかし
数学だけは群を抜いてできました。
勉強する時間はそんなに必要はないし
問題文をじっと読む必要もない
ただ楽しむだけで点数がとれる。
私にとってありがたい教科でした。

 

その数学一教科で
受験できる大学があったのです。

 

里親は大学の学費なんて出すはずがない
と思っていたのですが

 

その当時
女性の4年制大学進学は多くはなく
しかもそこそこ名前が知られている大学だったので
里親は自慢したかったのです。

 

そして合格するのですが
片道二時間かかります。
時間も交通費も大変です。

 

かなり養父も悩んだようですが
念願の一人暮らしになります。

 

これで自由を得た
訳ではありません。

 

大学以外の時間をアルバイトさせるために
生活費はありません。
アルバイト先や家に毎日確認の電話があり
たまたまアルバイトで帰宅が遅れると
「調子のるなよ。抜き打ちで行くから覚悟しとけ。」
脅しの留守電が入っています。

 


今でも
毎日の電話と留守電の恐怖を思い出します。

 

土日は何があっても里親の元に帰り
スナックに勤めなければなりません。

 


自分が自慢したいがために進学を許したものの
寂しさや自分から離れる恐怖に耐えられず
おかしくなっていました。

 

そして一年が経つ頃
「大学辞めろ」
と言われます。

 

そう
もう自慢したので
卒業なんてしなくていいのです。

 

寂しいから
私がどこかに勤めるより
スナックで働いていてほしいのです。

 

この一言を言われた瞬間
その恐怖は覚えています。
戦慄が走りました。
やっとほんの少しの自由を得られたのに
未来がちょっと開けたのに
またあの軟禁状態に戻るのです。

 


大学に入ってからは
親しい友人には少し事情を話していたので
それまでも「逃げたら」
と言われていました。
でも
これまでの刷り込みで
どうしても自分は逃げられない
逃げてもボウガンで殺される
としか思えず
逃げられませんでした。

 


その恐怖はその時も変わりませんでした。
でも
あの軟禁状態の恐怖の方が上回ったのです。

 

そして
大学の友人たちの助けを得て
逃げ出しました。

 

それでも
ずっと気が気ではありません。
どんな手を使っても探し出し
私を殺しにくるだろう
そんな思いが消えません。

 

しかし
その後
何も起きていません。

探し回ったのでしょうか。
自分が捕まるかもしれないと
思ったのでしょうか。

 

あれから20年経ちました。
未だに恐怖はあります。

 

でも今は無力じゃありません。
私を守ってくれる人たちもいますし
法的にもきっと守られる。
そう思って
こうやってブログを書いています。

 

 

 

 

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